1 月 7th, 2009

PENTAX67を買おうかどうか悩んだあげくに、いやいいやまだいいやとなって、そんならもう少し待って4×5を買ったらいいさとなる。やっぱりそうだ、戦うのは戦力が必要だ。部屋がだんだんらしくなってきて、嬉しい限りであるのだけど、肝心な紙のサンプルがまだ届かずに年末年始の休みで会社も休んでいるのだろうと思うと、今年のぼくの正月は何もなかったなあと少し残念気味ではあるのだけど、それだけ頑張っていくさということでやっぱりこの生活を肯定するのだ。やっぱり最後はわからないぞ、休んではいられないさと今年こそはいつもいつも毎日いつでも思っているからこそ、生きていられるのであって、だったら最初から就職しているさと思うし、だったらいつだって貧乏でいることも無いのだと思うけれど、時給数千円で苦し紛れに街を颯爽と走り抜けて、やすっぽい煙草をふかしてけらけら笑っている生活がいかにどんなに面白いことだろうかと、たぶん数十年後には身にしみて、青春の徹夜作業を思い出すんだろうと思う。今日は今日で全力で、なにもかもがハチャメチャになってほしい。明日は古びたビルの腐った金属階段の端っこで、愛を語るんだろうか。いやそんなこともないけれど、そんな勝手は夢を見ているから、珈琲がうまい。
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1 月 5th, 2009

また、親知らずを抜いた。さらに来週にもうひとつ抜くのだと言う。それで全部の親知らずを抜くことになる。親知らずが全部、虫歯になっていたのだ。そうとも知らずにほっておいて、なんだか運が良いのか、いつかこうなる運命だったのかどうなのか知らないけれど、抜くのだと言う。それに他の歯の手入れもした。すこし虫歯になりかけている箇所もあるし、歯肉がかなり炎症をおこしていたのだった。そうとも知らずに、それは知っていたけれど、そうとは思わないように生きていて、とにかくクリーニングした。というか、また来週にも治療は続くのだ。保険に入っておいてよかったというか、入らされたので助かった。ここのところ、耳鼻科に歯医者となにかと病院ばっかり行っているけど、今のうちに治せることは治しておこうと思う。まだまだ生きていこうと予定を組んでいるんだから。歯を治したから明日死ぬわけにはいかない。
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1 月 5th, 2009

フジファブリックのPVを見ながら、ぼくは結構、悲しそうな顔をしてる子がタイプなんだと分かった。
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1 月 4th, 2009

あらかた片付けが済んだが、部屋が寒すぎて外気と同じ温度ではないのかという不安にかられ外へでるともっと寒くて凍えそうになりつつ、近所の商店へゴミ袋を買いにでる。珈琲豆もないので、新しい今年は安いモカブレンドと書いてあるのを買って、丁寧にドリップすることにした。なんだか足音を立ててやってくる未来が見えるようで、何も見えないのでそわそわしている。お米を炊いても、珈琲を煎れても、掃除をしても、咳をしても、去年と同じなのだ。まだ準備に取りかかったばかりの人生は、早速と言わんばかりに待ちくたびれている。今日は部屋の半分ばかりの掃除が終わった。石膏ボードを導入する予定なので、まだその日まで待たれよ。
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1 月 4th, 2009

部屋の掃除と大規模な配置換えをしているとやや、滅茶苦茶になりつつある。立ち止まっては駄目だ考えるな何もするな、早くしろという声が聴こえそうな世の中だけど、ぼくは立ち止まるのだ。そうだ、何もしないのだ、という優しさがどこで出会えるのだろうか。そうだ、あなたが僕を殺そうとしても許してやるよという優しさがどこにあるんだろうか。今日は赤い水筒にドリップ珈琲を沢山入れて街にでたら、やや危なげな男と肩がぶつかった。ああ、失礼と愛想よくぼくは右手をあげて挨拶したのだが、明らかに相手はぼくを睨んでで怒りに満ちていたようで、やや焦ったのだが、まあ大丈夫だろうと思ってその場を去ったが、日常の裂け目に何か見たような気がしていて、気になった。彼はぶつかった原因が100%僕ににあると思って怒っているのだろうか、それとも単純に何か別のことを考えてぼーっとしてただけなんだろうか。ぼくは原因はどちらにも平等にあるんだと思っていたので、怒る事は不公平だと思うし、それでないと困ると思うのだけれど、何かに怒るというのはそうゆうことなのかもしれないとふと考えた。そうか、自分がないのだろうと。なんとなく面白い。
そう考えるとやや切ない気分になるのだけど、ぼくはそれどころじゃない。
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1 月 3rd, 2009


怒濤の年明けが始まって、昨年の本当の末の末の瞬間は梅が丘にいた。ややして、お酒がまわってきて、さらにシリアスな話が始まって。今年はなんだか新年らしくないなと思っていると、そうか節目は自分で作り出すものだということを思って、今年はがちがちの過激な堅物になってやるという野望を持つことにした。最近は、中平卓馬に似ているんじゃないかと言われていて、ああそれは面白いなということで堅物という言葉が浮上したのだ。そうだ、堅物なのだ。硬いのだ。硬いのだ。固いのだ。難いのだ。
うえは、新年にそうそうに書いた今年のドローイングであって、それも何もかもはすべて未来に向かって固まっていく予定である。そうなのです、固まっていく破壊と再生の過程なのですと言いたいのです。だが年が明けたのだけど、まだまだ怒濤の忙しさのなかからは抜け出せなくていて、夕刻みる電車の外の風景はやや力がなくて、げんなりするのだけど、疲れ果てた末に感じるややマゾヒティックな疲労感だけが、希望なのであってそれを頼りに、今後の作戦を練るのです。
私は、いまだ東京で頑張っているのではなくて、あえて東京で生きているよというのがぼくの理想であって、何もかもがげんなりするような見せかけの真実であったとしても、それはいつの日かとてもリアルな現実と恍惚感をもった日々に変更することが可能であって、それは何もアルコール中毒で感覚をすべて失うことで得られる現実ではないのであって、私はこれまでも何度となく希望を捨てずに生きてきたということが支えてくれる興味の矛先なのです。
未来は明るいのではなく、明るいのは未来なのです。順風満帆なのではなくて、切磋琢磨生きるということはいつも崖っぷちなのです。
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12 月 29th, 2008
寝不足なので、やや遅い起床になりつつ、昼過ぎに写真部の打ち合わせを自宅で行い、そのあとで友人のウェブサイトのデザインの仕事をして、そのあとで遅れ気味で友人の劇団の忘年会に参加するが、携帯電話が止まっている+場所を忘れたので四苦八苦しながら路頭に迷う。運よく電話がなり素早く取って助かる。久々に飲んだくれて気持ち悪くなりつつ、ああ皆少し歳を取ったなあとなんとなくそんな感想を持って帰る。帰り道、寒くて凍える寒さでコンビニに立ち寄るが所持金が100円もないのでなにも出来ずそのまま帰る。明日は少し入金があるはずなので助かる。今日は、篠原涼子のTKミュージックを沢山聴いた。
偶然にも演劇をやっている高校時代の同級生と電話ができて、なんとなく感激しつつ奇遇だなあとというか世界が狭過ぎるのだなあという月並みな感想以外なくて困る。やや名古屋弁にもなりつつ、話をするのだが時間が止まった気分である。なんというか、こうゆうことが起きること自体が歳を取ったいうことなのかという感想だ。歳を取ったというとなにか批判されそうだけれども、なんてこともなくてそんあ悲観的にも考えていなくて、時間の流れは早いものだなあという位にしか思っていなくてまた困る。
最近、出会う人々を見ながら、なんとなく、やや自分はいまの世代の人間ではないのかもしれないと思い小躍り。いつだってピュアでいたいし、そうであるべきだという結論で納得。合掌。
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12 月 26th, 2008
新宿でタイ料理を食べて、テスト撮影の120のポジを受け取り、その足で五反田へのギャラリーの打ち合わせへ。テストポジとドローイングを見せながら、今後の戦略を打つ。ややぼくの戦略はまだ甘かった。大切なアドバイスをもらって話すこと二時間。案外にも写真もドローイング(新しいのは辞めたほうがいいということになったが)も受けが良かった。ハッピーメリークリスマスと言って可愛いなと思いつつ、奥歯がかなり痛むのでどうにもこうにもできないので、急いで帰宅し近所の歯科医へ。いきなり親知らずだというので、急遽抜く事に。しかも上の親知らずは全部虫歯になりかけているので、年明けにももう2本抜かないといけないということになった。あらま。
相対性理論を聴きながら、ドローイングの作戦を実行に移す事にする。いま作っている作品はどちらとも大掛かりというか、時間のかかる作業ばかりなので、来年の冬迄完成は見られないかもしれないけれど、それだけ大きな作品になることは間違いない。ドローイングといっても222cmの正方形で作る予定であるし、写真も40×50inchのオリジナルプリントシリーズにする予定なので、かなり今迄よりも大きさが違う。こうゆうことかとなんとなく嬉しくもなり小躍り。やっぱり間違ってない、自分が面白いと思うこととどれだけ真剣にできるかということだけで、後は体力だとか気力だとか根気だとかそんな程度かもしれない。
北極星、超新星、流星群にお願いよ!だって!
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12 月 19th, 2008
ここのところ、やけに忙しくそれが一番の理由だけれども、やや2010年までの見通しを一気に立てて、来年どうするか、再来年どうしたいか考えていて、そそくさいろいろと各方面に連絡を取っていたり、ドローイングの制作や写真作品の計画などを建てていて、ややオーバーワーク気味になって昨日は終電を逃して、というか降りるべき駅を通り越して、4駅先まで行ってしまって深夜1時頃暗がりの一本道を歩いて戻ったら2時頃になっていて、さすがに疲れ果てて、起きたらもう9時頃になっていて、もういいや仕事は休もうと思って電話をして、幸いにも職場と仲が良いのでどうも疲れ果てているので、休みたいと言うとすんなり快諾してくれて当日欠勤をしたのだけれども、ああ人生これからだという例のコマーシャルを思い出して正気を取り戻して、週末を迎え撃つべく作業に取りかかった。年の暮れだというのに、まだ今年を締めくくるのにはやや早く宿題も取り残されていて、まだ終わりは見えない。今年は何故か年賀状を出したいと思うのは、例年にないことなので、これは!と思うことにした。
「ほら、あなたの目に私が映る」と歌っているじゃないか。できれば、年明け頃までにアプリケーションを3つを完成させたいのだけれど、間に合うかどうか瀬戸際で。来年も忙しいには変わりないので、嬉しさ半分気合いを入れつつ、珈琲を4杯飲む。重要なのは2010年なのかもしれない。
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12 月 2nd, 2008
今夜はボルガで一杯飲んで、鶴亀食堂で元気丼を食べた。同じ曲が違う曲に聴こえる瞬間を待っていた。坂口安吾の堕落論を読み返してみて、さらに鎖国についてもう少し調べようと思い立つ。コンセプチュアルでもなんでもないおそらく元々持っていた感覚といったほうが正確だと思われる思考を基に考えてみる。よく考えてみれば、考えてみるなんて、何の事なのか良くわからない。ぼくには筋道などとうの昔から無かったんだと気づいた。築いた。これをなんと言うのかやや四苦八苦なのだが、おそらく元来人間が持っていた技術というか感覚というか物真似の技術というか、嘘つきというか、言い訳というのかそういう技術に近いのかもしれない。何か気になる事柄について、自己欺瞞的に覚束ない口元で達者に言ってそれを何ものかの他の物体で現実に結実するということ。
なんとなく今日はそういうことを考えた。面白い発見に繋がりそうである。
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11 月 30th, 2008
横浜トリエンナーレの最終日。朝から電車で向かうがやや眠く珈琲でがつんと目覚めたのだけれど、ややまだ眠くBank ART NYKから見る。倉庫のヘルマン・ニッチの作品はやっぱりイベントをやって欲しかったなあと思うのにつきて、アブラモビッチの作品も是非こうゆうのはイベントにして欲しいなあ彫刻だけじゃ、やっぱり体験として薄いなあと思いつつ。受付の女の子ににっこり、ボランティアのおじさんが椅子で寝ているを笑ってみていた。歩いて、赤レンガ倉庫まで行くがやたら戦後の行為芸術だとかいう資料展示が良くなくて、やや幻滅しつつ、3Fでリクリットの作品を見ようとしても、閉鎖中で見れず憤慨し、外へ出るとパルコ木下がゲリラパフォーマンスをやっていて、寒空の中で挨拶し、新港ピアへ。
ああ、やっとトリエンナーレらしいなと思うような会場へ来れて安心し、入り口付近のヨナタン・メーゼの作品が良くて良くてまあ良かった。天井が高いのが良いのだということが分かって。赤レンガはそうか天井が低すぎて、圧迫感があるんだなと理解できた。マイク・ケリーやメキシコのペドロ・レイエスという作家が面白かった。ああそうか、作品からタイムクレヴァスかということは全体として思えては来なかったけれど、なんとなくトリエンナーレという体験はややタイムクレヴァスなのだなということを思った。やっぱり横浜なんだろうし、渋谷をほっつき歩いている風俗嬢や若者なんか関係ないわ!と思って生きているのかもしれないけれど、それもクレヴァスなのかなと思ったし。それはいつだって課せられている課題なのかもしれないなとふと思うこともあるのだけれど、転換期という意味でクレヴァスになればと思っているのは僕だけじゃないだろうとも思う。ぼくはいつだって、チャンスだ!と思ってしまう癖があって、何事で起こるとすぐにこれは!チャンスだと思うのだ。そう、未来は未定なのだからチャンスと思わない手は無い訳で。明日、共産革命が起こったしてもたぶん、これは!と思ってしまうんだろう。そうゆう思考の流れというか捉え方というのは、なんだか、アートにとってとっても必要なのだと思うし、明日はもう駄目だ!というのはアートになるかならないかは良くしならないけれど、だって!そうだ!と思いたつその姿というか、不幸だって明日は分からないよ言うのがアートなのかもしれない。いつだって無責任に決め込んでいるアートだけれども、それなりに覚悟と勇気もいること並大抵ではできないんだろうと、冷ややかな視線で考えた。どれだけ悲惨な状況だって終わりがあるわけで、そうゆうことを「言い出す」のが芸術だと僕は思いたい。
今回、パフォーマンスがトリエンナーレの中なかで重要な要素になっていると良く言われていたけれど、ぼくはどうもそれはいただけないと思う。あんまり重要でもなんでもなかった。
会場の三渓園は残念ながら、時間がなく行く事ができなかった。やっぱりチケットは2日券で良いのかもしれないが、最終日はもうあとがないので一日券で良くないかとも思う。
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11 月 29th, 2008
負の可能性なんていうことを考えていたら、鎖国というイメージが浮かんだ。というか5年くらい前からそんなことを心の底でにわかに考えていて、話していた時期もあった。それで先日もすこしそんなことを思い浮かべて話をした。なんだかぼくは、如何に人間が弱い立場になって弱まっていく状態になっていくときに負の力を蓄えているんじゃないかと負の可能性を信じてしまう。なんだかそれと繋がって鎖国という自閉症的な最終手段でいわば、みずから自分を追い込んでしまえという考えになってしまう。そう、国際交流反対!インターネット反対!貿易反対!なんていうフレーズはただのキャッチフレーズにしか過ぎないのだけど、追い込むこと何もできない状態に持っていくことをなんなく漠然と考えている。もちろん、二段階革命という共産党が目論んでいるやつなのだけど、その鎖国自体が目的なのではないのだけど、そこでなんだか爆発的な原動力が得られるじゃないかという考えなわけ。やや現実味はないのだけど、アイデアの段階でちょっと面白いかもなというだけ。時代にも逆行し、なんの現実的な役割も果たさない単なる自閉がなんなのか、たぶん今の時代なんの役にたたないので、実現しないだろうけれど、例えば、なんでファミレスで一年中同じメニューを出さないと行けないのか考えてみても分かるように、そうなんだ。そうゆうことです。
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11 月 26th, 2008
カナダのトロントの助成金が取れたと連絡があって、ああよかったなと返信する。それに加えて、新しいプロジェクト構想をメールしてみる。それに加えて松尾君をヴィデオ記録アシスタントとして連れていけないかと問い合わせてみる。とりあえず、うまく行っているので安心。構想からもう1年半くらいもたったので、楽しみ。最近はやや力み過ぎなので、ちょいと疲れてがでるのだと思うけれど、ひとつひとつ丁寧にこなしていきたいと考えていて、カナダの件もずっと昔にプロジェクトの打ち合わせをしただけなので、いまどんな風に考えているのかもういちど更新しないと行けないと思うところで、年の瀬が近づく日本で。ああああと歌う。
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11 月 24th, 2008
朝起きて、洗濯をして、NHKで再放送の爆笑問題のにっぽんの教養-京都大学スペシャルを1時間くらい見て、ほうそうかそうか面白いこと言っているのだなあ、物事の限界のことについて、つまり最近話題になる「フレーム/枠組み」のことについて考えているのだなあと思った。やるなと。そうそう、昨日の慶応義塾大学でのレクチャーで某キュレーターも言ってたけれど、「考えるな立ち止まるな何も言うな、さっさとやれ」という状況がとても多いことを嘆いていたのが印象的、希望としてはそれを打ち破るのがアートであって欲しいものである。で、それと同じことを爆笑問題も言っているのだなあと感じていた、教授たちにはボロボロ言われていたけれど、オーディエンスの後押しもあって白熱していて面白かった。なんだか芸術談義を聞いているかのような気分でもあった、そうよのなか簡単に限界が見つかるというか、あってでもそれはあまりにも見ないように教育されてきた。だけれども、世界はそうじゃないというひとたちも沢山いて、アートだとか政治だとか革命だとかやろうと必死になって、いろんな作品だとか政策だとか革命論理だとかを作って、そうそうこやってやれば、世界は変わるかもよ(?)という可能性を見せるうちに終わってしまうのが、人生であって、でもそれを知りながらも、そうもしてられないと焦るのがアーティストなのかもしれない。昔、大学時代に教授に芸術の限界のことを話していたら、怒られたけれど、やっぱり限界というのをもう少しちゃんと考えないといけないんじゃないかと思う。それは何も悲観的に言っているんじゃなくて、それを乗り越える為に、対象にしているだけの話であって、じつは結構大切だと思うし、いまの現代美術はほとんどいかに対象にできるかということを追求しているんじゃないかとおも思う。今日はThe B-52’sのPrivate Idahoを聞きながら。
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11 月 20th, 2008
写真のネガポジのスキャン作業がとんでもなく時間がかかるので、どうにもこうにも大変である。また5%も終わっていないんだろうと思うを気が遠い。2003年頃からのすべての写真のスキャニングをしようと試みているのだけれど、印刷にまわせるサイズにしようと思い、それなりのサイズでスキャンするのはやはり労力がいる。いまから試作するのは、実はアーティストブックでドイツ語と英語と日本語で翻訳した試作品を作って、出版社へプレゼンに行こうと思っているが。いつできるんだろうと思うが、今年の夏までには終わらせたいなとなんとなく思う。また写真もそれまでに増えてしまいそうで困る。できれば、同時に執筆と翻訳作業もしておきたいところだけど、そんなのあまりにも贅沢でまだまだほど遠い。まあいいか、今年は良いことも沢山あったし、できることは来年に持ち越しになりそうだけど、楽しみが沢山あるので良いとしましょう。
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11 月 19th, 2008
夜。ドイツ居酒屋のクライネヒュッテで飲む。アイスバインにシュニッテェルやドイツビールを浴びるように飲む。といってもあまり飲めないのですぐに酔っぱらう。大きな樽のようなグラスに蓋付きでやってくるビールに乾杯して、アーティスト会議の様相になる。自分はいままさに肩に力が入っていて、何事にも気合いが満ちあふれていて良いのだけど、ただとてもストレスも感じていて、良く言えば緊張感を持っているのだけど、ただ良く眠っているのだ。生活の変化を起こそうとして、革命を起こそうとやっきになっていて、アマゾンで洋書なんて買ったりして勉強に励んでいるというか状況の分析をしているのだ。もちろん不安もたくさんあるのだけど、自分の場合は最初の目標設定でとても大きなことを言っておいた方が良くて、なんでかというと、他人に話してしまったことは実現しないといけないと思う責任を感じてしまうからで、それにとてもぼくは責任を感じている。それは作品についてもそうなのだということを一層肝に命じていく次第である。
今まさにということがとても現実のこととして捉えられていて、酔っぱらうとやたらに元気になる。酔っぱらうとどうなるかというのは、自分のひとつのバロメーターであって、酔っぱらってどんどん落ち込んでいけば、ああ自分はいまとても不安で落ち込んでいるのだなあと思うし、元気になればああぼくは頑張りどきなのだなと良く分かる。いま気合いが入りすぎていると言われるのだけど、それをバネにして頑張ろうと思う。だっていつ頑張るのか見極めないといつだって、やることも進めることもできない。ぼくはどうしたって、何か物事を実現できないと躍起になってしまうのだ。
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11 月 16th, 2008

なんだかんだで良く話しをするようになった近所のコンビニのおばちゃんと買い物の帰りで駅まで一緒に行く事になる。いつも彼女に仕事をやっているの?と何回も聞かれているのだけど、その都度適当にかわしていたけれど、今日は「ぼくは芸術家なんです」と言ってみる。えー鶴太郎みたいなの?と言われてまあそうですねぇぇぇぇと答える。駅まですぐなのでまた最終的にはかわしつつ、電車で六本木まで。おばぁちゃんにもどこ行くのと聞かれて。六本木と答えると「あ、やっぱり」と言われる。何もやっぱりじゃないのだけど、へへへと笑って去る。
夕方、大学の同級生の恩田君が写真を届けに家までわざわざやって来てくれる。さすがにありがたい協力者に恵まれたものだと、珈琲でもお出しして、ちょっと雑談というか近状報告。ギャラリーの話とか今後の活動方法のやりとりで30分程度。最後、恩田くんは鞄を忘れていったので、慌てて戻ってきた。
アルバイトを辞めてから約3ヶ月良くもここまで何の貯蓄も無しでやってこれたなと思いつつ、それに付けても次の方針が固まりつつあって良かった。見えない未来というのは見え難いから怖いのだと思った。年末まであと少しだけれど、整理整頓および心を鎮める作業でいっぱいいっぱいであろうと思っている。
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11 月 15th, 2008
http://spysee.jp/
人名の繋がり検索というのがあって、ちょっと見てみると自分もいつのかにか登録されていて「現代美術家」のカテゴリーに知らない間に登録されていた。というか自動にweb上にある情報を調査して登録してくらしいが、最後はやっぱり手作業なんじゃ無いかと思うとびっくりする。知らない間にこうゆうふうに登録されていてるのに、すごい何だろうこれはと思ってしまった。自分の顔写真やプロフィールなんてどうやって選択しているんだろうか。やや可笑しいところもあるけれど、かなりの精度であるんだなあと思った。というのは、おそらく僕のことを全くしらない人がこうゆうことを作っているんだろうけれど、よくもまあ多摩美術大学卒業で現代美術で主にパフォーマンスだなんて分かるもんだ知らない人が。どこかの情報をちゃんと調査しないといけない。というか、技術の進歩というか神秘と言っていいようなことに驚いた。この違和感はかなり面白い。よくも悪くも。
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11 月 15th, 2008
遅く起きた日だけれど、すぐに身支度をしてやや遅れ気味だがプリント40枚を印刷をしつつ一本電車に遅れるが平常心を保ちつつ電車へ。高田馬場で乗り換えるが、今日は珈琲もいいかと思う、スルーして、秋のプラットフォームで佇む。
午後3時。某ギャラリーでの打ち合わせというかほぼ僕の身の上相談のような様相が3時間ほど。本当に親身にいろいろ話を聞いてくれてこんなに優しい人は初めなんじゃないかと思えてくる。こんなギャラリストは初めてだと思った。というか今迄お会いした人とはぼくは上手に話をすることができなかったけれど、なんだか今回はすらすら思っていることがなんでも出てくるし、素直に話ができるという相手なのでぼくにとってはとても新鮮であって。決意を新たにますます決意に燃えていきますと言いたい。ぼくのこれまでのやって来たことや考えていたことを素直に話て、素直に返答が来るし、それに対して苦言を言うでもなく、人間性というのかそんなことで締めくくるのもどうか思うけれど、現代美術のギャラリーであってもはやり人間性がうまいこと折り合いが着かないとやっていけないんだなとつくづく思ってしまう。それに、やっぱり現代美術を言ってもそれぞれの思っている現代美術というのがあって、それをやはりいろんなものに投影して見ているんだなというごく単純なことを思う。やはり今日はいい日だったんだと言いたい。あっと言う間にお茶を2杯だけのんでオフィスで3時間もあーでもないこーでもないと3時間。しっかりと宿題まで出た。
ビルを出るともう暗くなっていて、近所のラーメンやで早めに美味しそうなつけ麺を珍しく食べて、その後新代田へ。午後9時。四谷アートスティディウムでも教えているエレナさんのお家が今日、アートスペースとしてオープンするそうで、そのパーティーに参加する。なんかだかやや高揚気味でよれよれ、お酒も飲んでいないのに酔っぱらい気味で、到着。夜の環八が異様に奇麗に見えた。到着してもまだ4-5人しか来ていないくて、やや雑談気味でやっぱりアーティストが多く。これからの自分の新たな決意やパフォーマンスやお金のことを勢い余って話す。人が増えてきて、やや混雑して来て、なんだかよく分からなくなってきて、それでも勢い余って初対面の人にこれからどうやって生きていくのか問う次第になる。癖なのか、自分の考えていることをすぐに人に聞くようになる。それでもとても面白い人たちが居て、また会おうということになんだかなって、気づくともう11:30終電も近くなり、急いで小田急に乗って新宿へ。
やっぱり、決意を新たに、益々決意に燃えて。活動を続けたい。じつはややこれから作品制作やそれに関連することの自分におけるパラダイムシフトを起こそうと思っている。大それたことではないが、ぼくにとっては大変な変化となる予定。なんだかやはり、今日はいい日だったんだと言いたい。宿題もやろう。
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11 月 10th, 2008

DVD-R 14min 11sec NTSC 4:3 Stereo Colort Relion all 2008
1000円
2008年11月2日に多摩美術大学で行われたボランティア200名と多摩美術大学の殆どの電灯を点滅させるプロジェクトの記録映像集。多くの学生との共同体験を目指し母校を再認識する為に企画されたこのプロジェクトの終盤は静寂の学校が阿鼻叫喚の大波乱。もしくは、学校側とのゲリラ戦線!
一部、再生できないプレーヤーがあります。
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