大陸トラベル

1 月 4th, 2012

とんでもないお正月だなという勝手な解釈と、そうでもなくて単なる休日以上のことをしていないじゃないかという感想と同時に感じていて、そんなのただの愚痴でしかないじゃないかという、愚痴の上乗せみたいなことばっかりやっていてとても非生産的で、非建設的。ただひとつだけ言えることは、新年だとかクリスマスだとか宗教的内容には一切触れないが、そうやって適度に区切りを作ろうとすることは、とても人間にとって必要なことであって、そうでなければ人生80年くらいの人生が空虚で溜まらなくて死んでしまいそうなくらいに、寂しくてどうやっていても立ってもいられなくて、苦しくなってしまうに違いないから、人類の叡智だと思うし、それにとやかく言う必要はないと思っているけれど、その姿というのはとても可愛らしい人類の姿だと思っている。人はロマンティックなことが好きであるし、自分の人生だけはと思っているのだから(いつだって自分の人生の主人公が自分以外になることはない)死を前提とした限りある時間の中で生きて行くことは否定できないし、否定しようとも技術的に未だ不可能であるし、死ぬから出来ると思えるようなこともきっとたくさんある。結婚だってそうじゃないかと思った。今日はこれで終わり。


砂漠ソビエト

1 月 2nd, 2012

記憶は消え去ることが前提で生まれてくるのだから、さっさと消えてしまえばそれでいい。なんてね、というとなんだか寂しいような悲しいような感じにもなってしまうけれど、そんなことを言ってしまってもどうしようもなくて、さっさと寝てしまうしかない。本当はこうに違いないと思ってメモを残そうにも、そんなこと役にたたないで死んでしまうまでに、いずれかゴミになって塵となって消え去ってしまう。むしろ、そうやって消え去ってくれさえすれば、まだいいほうで、きっともっと根本的に厄介なのは、消えてしまわないで残ってしまうことのことを今風な言葉で言うと、現代とか言うのかもしれない。もちろん最前線でぼくらは歩兵として闘っている限りでは、そんなことを振り返っている時間はないけれど。


お葬式と誕生日

12 月 28th, 2011

来年はどうなるのかしらって、当然だけど思う。2012年じゃなくても当然思っているはずで、でも来年は2012年だから、あれがこうなって、ああなるのかなんて計算できたりもするけれど、そうなるのかどうかは分からないから、きっとそんなことを考えているうちに、現実が想像を追い越してしまうのだ。そうに違いない。最近、空虚な思いばかりを溜め込んでしまっているのは、きっとTwitterとかfacebookとかに無関係なことではなくて、ぼくらが潜在的(洗剤的)に抱え込んでしまっているであろう、あれなんだということで片付けておくしか、なかろう。そうでなければ、明日のことに怯えて自殺してしまっても、彼を責められない。ぼくはきっと、一度しかみたことのない、それも二次的三次的(惨事的)な記憶だけを美化してしまって、それと結婚しようとしているのかもしれない。だから、いつまでたっても結婚ができない。自分から遠ければ、遠いほぼ、それは神秘的で美しいし、希望があって、可能性となる。だからといって、身近な生活をないがしろにした、自分を責めるわけにもいかない。それを引き受けて生きるしかないし、時間がなければ、灰皿にご飯を盛ってもいいだろうし。それにはメゲナイ。という意味で、未だに衣食住にはほぼ興味がない。


森の中で街の中が見える

12 月 20th, 2011

予定表はカレンダーをずっと見つめて頭の中でjpeg保存している。というのは複雑な言い方なのだけど、そいうことになっていて、ずっと使っているカレンダーがないだけでどうにもこうにも予定が頭に入ってこないということは、そういうことなんだ理解した。とんでもない非合理的なやり方なのだけど、日々の慣れてしみ込んでしまった些細な作法というものがあるが、それは破壊された。もしそうならば、これからどうやって生きていけば良いのか、それが問題であって、当然生きるとか死ぬということは、その未知の領域に向かっていく不安のなかで、開発と挫折を繰り返し行うしかあり得ない。当然ながら多くの人が思うように、今日よりも明日のほうがずっと素晴らしい日々が待っているだろうなんて、多いなる勘違いであって、今日も明日も明後日も良くわからないし、どうなっているのかも不明であるし、きっといつか死ぬだろうという未確定だらけの日々を送るしかない。だからと言って自殺してやろうかともそれは、歓迎されるべきことではないので、大いなる不安があったとしても何とか生き抜かなければいけない、英語で言うとサバイバルなのだ。どこか全く知らない街で知らないおじいいさんに出会っても同じことを話せたらいいと思って、その訓練をしているのである。


トルコリラの幻影

12 月 19th, 2011

飛行機の中で死んでやろうかなんてロマンチックなことを考えてしまったのだけど、そんなどうでもいい葛藤を抱えつつも、トルコで撮影した(しかも偶然、イスタンブールで知り合った日本人に撮影をお願いした)ヴィデオをみながら、あーでもない、こーでもないと、フラフラしている。とんでもない。本当だったらならば、今現在どうであるべきなのか10歳の自分に聞いてみたいところだ。思い返してみれば、トルコはここ数年で珍しい観光だったのかもしれないと思うと、ぼくの人生ももっと面白くなるかもしれないとか勝手なことを支離滅裂に考えている。マイクロウェーブ。


丑三つ時

11 月 1st, 2011

午前2:36。今の時間なのだけど、いつも大抵このくらいの時間になると昼の精神状態とは違ってくる。いいのかどうかは良くわからないのだけど、そういうことになっていて、もういい加減終わらせないといけない(まずい)書類がいっこうに終わらないで、気持ちが悪いので久しぶりにブログなんぞ書き込んで消化不良気味の不良な気分を紛れさせることになっている。というのは、何もかもぼくらはやらないといけないことなんで、本来は何ひとつ無いと思うのだけど、生きる上でそうはいかないので、あーだこーだやらないと進んでいかないということになっている。職業だって選ばないと誰も与えてくれないのは当然だし、何らかのことをして働かないと金銭なんぞ生まれてこないし、やっても来ないのだから、当然その通りだから、きっとそんなことも全部関係なしに自然も存在しているに決まっているのだけど、ぼくらは自分たちで作り上げたシステムの中で餓死しそうで苦しいのだと思うと何だか面白いこともある。当然だ。だからと言って、何でもフリーダムでいいのだと言うことも当然無理だし、政府を破壊して自由を勝ち取ろうとしても歴史を見ればわかる通りに、自由が自由でいられるその賞味期限は本当に極僅かな、もっと言えば微かな希望の中だけにしかないのかしれないし、だからと言って幻滅して自殺でもしてやろうかと思っても、それも最善の手段だとは思えないから生きているわけで、当然ぼくらはそんなこんの経験をしているはずで、それは既に了解済みだと言ったほうがいいのかもしれない。けれども、その了解済みのことを何度でも言ってやろうじゃないかというのが、人生の味噌なのかもしれない。


孤独

9 月 27th, 2011

理論的なテロリズムは有効かもしれないが、実際は実現できないその不可能性にぼくらは革命の欲望を見いだしているのかもしれないが、これはきっとかなり恵まれた状況のなかでしか発言できないような腐った文句かもしれない。常に考えないといけないことは、究極のことであって、それを蔑ろにすることはできない。


[2011] デモ行進を逆走する

9 月 26th, 2011

Walk in the Opposite Direction of a Demonstration Parade, 2011 from yoshinoriniwa on Vimeo.


[2011] 自分の所有物を街で購入する (ver.3)

9 月 25th, 2011

Purchasing My Own Belongings Again in the Downtown, 2011 from yoshinoriniwa on Vimeo.


刺身と海

9 月 25th, 2011

韓国の釜山滞在の3回目。今回は作品の設置とオープニングの参加が主な用事であって、それいがいは特に考えてないからどうしようかしらなんて、思ったりもする。設置と言っても案外、業者任せなのでぼくは適度にチェックする程度。秋の早い夜の到来になんとなく孤独を感じながらも、それでもいいんじゃないのかなあなんて、日本語でぼんやり考えることしかできないのは、どうしてだろうかと思うけれど、そもそも考えるなんて何のことなのか理解できないなあと思うことにして、適当に切り上げる。ホテルの対岸がいつも奇麗に光っていて、いいなあなんて思うのは、他人の庭は奇麗に見えるということなんだろうか、それとも辿り着けない、ここではないどこかを求めるのが人間なのだろうか。きっとそうに違いないとか思っているのはぼくだけではないはずで、いまぼくは釜山でこうやってぼんやり、とりとめのないメモ書きみたいなものをアップロードする瞬間にも殺戮や爆撃や戦争やテロが起こっているに違いない。けれども、そのような事にどこまでアプローチできるのは不明だけども、知っておくことだけでも違うかもしれない。日本に帰ったらどうしようかなと思っているけれど、韓国の甘い珈琲でも飲んで考えるふりでもしようかと思った。


[2011] 自分の所有物を街で購入する (ver.2)

9 月 24th, 2011

Purchasing My Own Belongings Again in the Downtown, 2011 from yoshinoriniwa on Vimeo.


[2011] 自分の所有物を街で購入する (ver.1)

9 月 23rd, 2011

Purchasing My Own Belongings Again in the Downtown, 2011 from yoshinoriniwa on Vimeo.


ゴミ屋敷

9 月 7th, 2011

釜山3日目。撮影も無事に終わり、あとは看板屋さんとの調整と印刷データのみだ。やるだけのことはやったと思うから、あとは現場仕事である。東京に戻ったらすぐに青森に行かないといけない。そのあとはモスクワも待っていると言うか、おそらくモスクワに待っていてもらっているというのが正確な言い方なのかもしれない。でも毎日釜山で焼き肉を食べたりしているけれど、安いからなんとかなってしまう。近いようであんまり近くない韓国にいきなり来て何やってるんだろうと思う瞬間もあって、そんなこんなで30歳に近づいてるなあと思っているとこんな人生もいいかなと思う。毎日変えると髭もじゃの自分が映る鏡を見てなんとなく安心する。


取り返しのつかないことをしました

9 月 2nd, 2011

と良く人は言うのだけど、だいたいが日々の生活において、取り返しのつくことなんて殆どないような気がする。ご飯を食べてしまって、取り返そうとして吐き出しても無駄であるし、そんなのは当たり前に取り返しがつかない筈であるのに、なぜかそこではこれが人類初めての出来事のように言うのだ。そんなの当たり前だろうに、ぼくはいつも取り返しのつかない人生を送っているわけだし、取り返しの出来る人生というのは何ぞや。


暴走族

8 月 22nd, 2011

もうすぐモスクワに発つことなっていて、今月は目の回るような移動の連続であって、望んでいたことなのだけど、さすがに目が回ってふわふわしているなんて言うと言い訳かしらなんて思われるかもしれないけれど、そうなんだと言うことでしかない。モスクワなんて言うのは、ビザも必要だし、今回はそのビザ取得も自分でやっていないから、どうやって申請しているのかも段取りもよく把握していないままに、航空券も自分で取得していないから本当はいくらなのかしらなんていうことを考えたりしている。あまりにも情報が少なすぎる国だから、何とも言えないし、大きな国には違いないけれど、そこには歴史的な出来事とその残骸が刻まれていいて、ぼくの入り込む余地なんてあるのかしらなんて考えながら歩くしかないかもしれない。

昔、意気込んでルーマニアに乗り込んだ時の感動は味わえないのかもしれないし、南米に到着した時の未知数に包まれた大陸の神秘は感じないのかもしれないが、超大国ロシアというイメージを思いきりぶち壊してくれるような体験ができればいいなあなんて勝手に思い込んだりしている。普段は飲まないウォッカなんていってしまうおうかしらってついつい考えるのは普通だから、辞めておく。ぼくにはやることがあるんだと言う緊張感のなかに包まれながら行動しないといけない、ぼくはたぶん自分の規範意識から逃れられない。だからこうやっていつもどこか知らない場所に時々飛ばないといけないと思うこともある。それはきっと精神的に滅茶苦茶にしないといけないということも分かっているからだ、なんだかそういうことを考える夜なんだ。明日はモスクワ。

溝に落ちてしまえ!


[upcoming exibitions, projects]

8 月 18th, 2011

グループ展:”New Gallery × New Artists × New Works”
2012年1月7日(土) - 3月10日(土)
AI KOWADA GALLERY
http://www.aikowadagallery.com/

「イスタンブールで手持ちのお金がなくなるまで、トルコリラとユーロの外貨両替をする」2011

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トークイベント:アーティスト丹羽良徳が語る−自身の芸術活動と日本の現代芸術の展開
2012年1月24日 18:00-20:00
全ロシア外国文献図書館”国際交流基金”文化事業部(モスクワ日本文化センター)
http://www.jpfmw.ru/jp.html

トークイベント
2012年1月27日 13:00-
ロトチェンコ記念マルチメディア写真学院

トークイベント : アーティスト丹羽良徳のレクチャー
2012年2月3日 18:00-
Moscow Museum of Modern Art
http://www.mmoma.ru/en/

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個展:丹羽良徳「ベルンで熊を拍手喝采する」
恵比寿映像祭2012地域関連プログラム
2012年2月9日 - 2月26日
NADiff window gallery
http://www.nadiff.com/

「ベルンで熊を拍手喝采する」2011

トークイベント

2012年2月19日(日) 17:00-19:00
NADiff a/p/a/r/t 1F店内奥
「トランスナショナルな個人映像記述術」
ゲスト:市原尚士(読売新聞水曜夕刊ポップスタイル欄の編集長)

国家横断的、個人史と世界史などをテーマにこれまで
丹羽良徳が世界各地で実施してきたプロジェクトをどのような
手法で行われているのかお話します。そこから映像作品の可能性について、
もしくはそこからはみ出してしまう可能性などを映像やテキストを交えて紹介します。

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グループ展:RYUGU IS OVER  -竜宮美術旅館は終わります
竜宮美術旅館 (〒231-0053 横浜市中区日ノ出町1-53-2 京急本線日ノ出町駅 徒歩1分)
2012年2月17日(金)~3月18日(日)(全20日間)
開館時間:月・金・土・日/13:00~21:00
入場料:500円(期間中何度も入場可)※
http://ryugubijuturyokan.org/

オープニングイパーティー 2012年2月18日(土)19:00~21:00
アーティストトーク、参加作家イベントなど

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グループ展:Double vision: Contemporary art from Japan
2012年3月13日 − 5月6日
Moscow Museum of Modern Art
http://www.mmoma.ru/en/

「モスクワのアパートメントでウラジーミル・レーニンを捜す」2012

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滞在制作:Wyspa Institute of Art
Artist-in-residency :
Wyspa Institute of Art
Gdasnk, Poland
www.wyspa.art.pl/
2013年


[2011] 美術手帖, 2011年8月号 ART NAVI

7 月 18th, 2011


しろくま

7 月 13th, 2011

新宿で撮影。いつになっても撮影が下手糞である。もう10年以上やっているはずだけど、未だに要領を得ていないということだろうか、そのほうがいい場合も多々あるのも事実だけれど、それでいけないのも事実だ。ということなのだ。ようやく30歳にして、希望していたようなことが実現しつつあるのを目前にして、なんだか不思議な恍惚感に包まれながらもなんだか良くわかっていないような気がする。というか希望は希望のままなんだろうか。きっとそれでいいような気がする。貨幣。


明日の今日

6 月 28th, 2011

寝坊してしまって、いつもは1時間くらいかかる道程をほぼ20分くらいで移動した。しかも、久々に猛ダッシュしたので、かなり気持ちが悪くなってしまって吐きそうになった。こんな今日の記憶も10年後には忘れてしまうんだろうな。それでいいんだ。きっと。


嵐の前後

6 月 27th, 2011

松尾君に珈琲の生豆の焙煎のやり方を教わって、生意気にも今日も焙煎をしてみたのだけど、フライパンが重過ぎて腕がどうも痛くなるのだけど、これもなんだか運動会のようで面白いからいいなと思って続けられそうだ。まだぼくはどの程度の焙煎具合で濃さがどの程度になるのかは分からないし、これでこれくらいかなというタイミングも分からないし、これが美味しい豆なのか、他のを知らないので比較できないから何とも言えないけれど、明らかに焙煎された状態で市販されているものは違うぞ。それでも美味しい飲み物だとつくづく思う。珈琲が。たぶん1日10杯前後飲んでいる、朝起きてから寝る5分前までずっと飲んでいるので、身体には悪いのかもしれないけれど、まあこれでいい。寧ろ飲まないと最近は頭がすっきりしなくてぼんやりし過ぎる。これを中毒と言うと思う。カフェインの刺激がないと正常でないような気がするのだ。正解だ。間違いないと思う。昔は居酒屋でぼくだけ珈琲を注文していたこともある。肝心なのは、覚醒してることなのだ、決して酔ってはならず、意識をぼやかしてはいけない。それは今でもそう思うし、それでなければ生きていけないよ、と思っている。ただしカフェインにも負けるな。闘いだ。ぼくらは世界や社会が日々進歩しているという幻想のなかで、それがきっと単なる物事の変化なのだということを忘れるな。ということで、好きな人ができました。