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2014

水曜日, 1 月 1st, 2014

年が明けたらと言っていい気になるなよ

師走のメモ05

月曜日, 12 月 30th, 2013

随分と不思議な1年だったなと思うけれども、来年からも続くのだろうと思うとぞっとするのと同時に嬉しくもなれる。端的に言って生活スタイルが劇変した。また今年は珍しく海外に一度も行かなかった。忙しい年は、月に2回も3回も海外に出かけていた頃に比べると不思議だったが、その分日本の地方には比較的よく出かけた。まだ未確定だらけだが、来年は今年よりは海外に行くことが多くなりそうだと思うと、若干気持ちも切り替わる。こうやって波のようなものに乗りつつ歳を取るのだなと思って過ごしているが。

師走のメモ03

金曜日, 12 月 27th, 2013

以下のテキスト、未推敲のものを敢えて掲載する。翌年に近藤恵介くんの展示において掲示される文章である。まだ推敲の余地また加筆修正する予定なので、適度に変更していると思われる。

近藤恵介と話をしていると、たびたび美術史とりわけ、日本絵画の文脈のようなことを彼は口にすることがある。ぼくはそれが何なのかさっぱり分からない。美術に、特に作り手としてのアーティストの意識に美術の固有の文脈など必要なのかとも疑問にも思える。そもそも、先人の芸術家や美術家と呼ばれる大勢の故人が残した遺物としての作品は「存在」するかもしれないのだが、そこに恣意的な視点を与えられた歴史にどんな意味はあるのか。たしかに様式の変遷や時代背景に呼応した優れた作品はいくつも存在するし、その土台にうえに僕ら現代の芸術家というものが制作している事実も理解できる。そのうえで、近藤は「過去にも美術があるらしい」というあっさりした感想から始めたと言う。その美術史と呼ばれるものと彼の芸術作品の創造とどのように結びついているの
彼と初めて会ったのは、10年くらい前になる。近藤の絵画を視たと記憶している、いくつかの展示の中で、池袋かどこかに当時、ギャラリーカウンタックという若いディレクターが立ち上げた場所で個展があるというので、伺った記憶がある。そこはごく普通の雑居ビルの2Fだか3Fだか4Fくらいにあって、住居としても住めそうな感じの場所だった。ああこんなところでも展示をやれるんだなとちょっと観てから、廊下で煙草を吸った。この時の絵画は、木目調の壁と床が効果的に絵画空間を作っていたように思う。それ以外にも展覧会以外にも会うようになったが、どうも、絵画そのものとアーティストである近藤の印象が、混じり合うことが時々ある。もちろん、近藤本人を絵画と見間違えたり、絵画を人間の近藤と見間違えることはありえないのだが…。
思考の流れとしての整理整頓。整理整頓、掃除という行動は、機械的に新しい風景を与えてくれる素晴らしい効果を持っている。掃除という行為者の意志に基づきながらも、モノの配置は行為者の意志には依らず最終的にはモノ同士の関係によってしか配置する場所は決定できないという、マクロとミクロの関係がある。自然界の多くの法則は、マクロな視点とミクロな視点が無関係に働くのだ。近藤の絵画を観ていると、そのような事を考えることが多い。
最初に彼と会った記憶を辿ると、ぼくがまだ学生時代に多摩美術大学の上野毛キャンパスの小さな校庭の薮のなかから彼は出てきたと記憶している。ただし実際には、学校に薮と呼べるような空間などないので、記憶と事実は違うかもしれないが、そういう登場の仕方だったと記憶している。その当時から髪型が変わっていない。誰でも髪は伸びたりするので、これも事実は違うかもしれないが、そういう同じ髪型を数年に渡って維持していたと記憶している。服装も今と同じものを着ていた。いや、事実と反するということは理解しているが、そういうふうに近藤が外見上は不変の存在として、ある種の意志に基づいて存在しているように僕が記憶していたということだ。実は、近藤にとっては意志のない存在は、そもそも存在と呼ばれないモチーフに変化していく。それらは、動機という不安定な輪郭なき初動の彼岸である。
近藤は、整理整頓がとても得意だ。得意というレヴェルではなくごく自然に生活の一部の行為の中に、モノの整理が取り入れられている。それは、単なるモノの荷捌きだけでなく、実際は爪の手入れやカバンの中に入っている筆入れの表面や入れられている筆の順序まできめ細かく意識が行き届いている。そして、その行為が近藤の絵画表現の延長上に見えてくることもあるのだった。彼はキャンバスの外に躍り出ても、その筆を止める事なく仕事(=整理整頓)を続けているように思える。厳密には、その境界線は存在できない。
つまり、近藤の絵画表現の発端は無秩序に散らばった有象無象の世界を近藤の手腕によって整理整頓および手入れをすることにあるのではないだろうかとふと思うことがある。ぼくの知る多くの画家が、制作や生活の場とする部屋の配置を日々絶えず気にしたり、手入れに気を使うのもそのためかもしれない。いや、これは画家における単なる一般論だが、近藤の絵画は、その構図がわざわざ宗教絵画に見られるような図像的にモチーフに宿命や重要性が付加さたような印象を持つように操作されていく。それは、我々が生きる現代が、過去の歴史を幾重にも重ねたうえにしか存在しえないことを示唆する。
散らかったモノを整理するということは、同時にモノをどこかに意志を持って再配置することに他ならない。そもそも美術表現というものは、何かを意志を持って再配置することが本質なのであるが、近藤の場合はとことん純粋に整理整頓にこだわっている。それも多くは、直線、垂直といった数値で割り出せるシステマティックな近代化思想によって荷捌きされる。しかし、その印象的な構図にもかからず、そこに宗教性は愚か宿命のエネルギ−の一端も見いだすことはできない。結果と原因を裏返したように、近藤の場合はあくまで目的が整理なのではないかと思わせるようなまでの徹底ぶりが微かに見えてくるのである。
いや、この場合、近藤の場合、日常的に目にするありとあらゆるモチーフが象徴的な構図に置かれ時に、半自動的に歴史の宿命を担わされる表舞台へと切り替わるその可笑しみを我々の社会構造的との類似を込めて冷静に眺めているようにも思える。近藤はいつまでも冷静なのだ、いや、冷静であろうとする態度が近藤を形成しつつもある。彼が場を取り乱し、乱調に溺れようとはしまい。その冷めた視線は実際のところ、めぐりにめぐって彼の近辺整理の矛盾を辿り、彼の絵画表現を出発させている。
とはいえ、僕にとっては、いつか近藤が取り乱している場面も見てみたいものだ、と思っている。他人のことを言うのは、ひどく無責任で簡単なことかもしれないが、人に見せる自分と見せない自分が共存しながらバランスを取るのが多くの人の定めであろう。だが、そんなせめぎ合いの中で制作される絵画はその部分には何も語ろうとしない分、芸術に生きるという意気込みが何となく理解できるような気がする。先から、何度も繰り替えすようで、具合が悪いかもしれないが、近藤は整理整頓が得意だ。ここで言うところの整理とは、全体の統一もしくは、統制と言って良いかもしれない。つまり、個々の存在が全体に関連付けされる状態を指している。近藤はいつも全体の統一感を優先させる。あくまで、日本語で言うところの、「場」とでも呼べるような、それも歴史的な太古から続くあるひとつの共有されうる大地に共存されていることを確認できるとでも言える時間的に、空間的に結合された時空の創作にほかならない。強いて言えば、その場においては、個の存在などはあまり尊重されはしない。寧ろ統制を目的とした場では、個々のオブジェクトは全体を構成するパーツに過ぎない。人体におけるひとつひとつの細胞とイメージしても差し支えないだろう。近藤はそのような、絵画を目指している。ここで近藤は場の創造という接点から、一気に過去の故人が残した作品、群美術史、文脈を巡る思考へ一気に飛躍することができる。物質が人間存在よりも優位なことは、多くの物質が人間の人生80年余よりこの世にその姿形を留め続けられるからで、作品は完成してしまえば作者であるアーティストの人生とも無関係に存在し続ける。多くの場合は、何世紀に渡って保存する技術もある。

しかしだ、事はそんなに都合よく解決できない。絵画は、そんなに簡単に完成しない。近藤もうすうす気づいているのかもしれないが、どんなに合理的に数学的に科学的に理論的に図像学的に家庭的に紳士的に、場の統一をはかろうとしても、黄金律的な構図はさして面白みがあるものではない。ある場所に配置された個体が、近藤の意志によらず具合が悪くなる、その瞬間訪れのほうが、よっぽど刺激的な絵画的な空間の創造だ。毎日のように家を片付けても、また配置換えをしたくなるのと同じように、日々変化の中にしか人間の存在も、意志も、あらゆる価値も存在しえないことを知っていながら、絵画表現という「定着」を基礎とする芸術表現に挑むのが近藤であり、ある種頑までにバランス重視の人間であることはお分かりいただけるであろう。近藤は、バランスが崩壊する瞬間を前提として、絵画を描くのだ。

師走のメモ02

金曜日, 12 月 27th, 2013

なんで美術をやっているのか?とか美術に何ができるのか?というような設問をいろんな場所で聞くようになったと思うけれども、これらの言葉を聞くといつも微かに不思議な気分になる。そもそも、なぜ美術や芸術をやっているのかと言われたら、美術表現や芸術表現において自分の可能性を引出せる領域なのではないかと思ったに過ぎず、若干始めた動機を現在続けている動機を同時に話すことは難しいし、多くの作家は始めた動機と続けたうえでなぜ辞めないのかという動機は少しづつズレていくのかもしれない。ただ特にこれに社会的な意味はない。そして美術になにが出来るか、というのは僕の回答としては何もできないが、もしかすると作品を見せる、見ることでかすかに第三者へ影響を与えることが可能かもしれないという意味において、社会的有意義な活動かもしれないという微かな希望だけがある。それはきっと、きっかけに過ぎないと思うけれども、意味のない映像や彫刻などはそれはそれでしかないので、きっとそうなのだと思うし、雨が降って傘に変化するわけでもないので、たぶんそうだと思う。それ以上でもそれ以下でもないけれど、それを議論し続けることを辞めないで作家たちがいつもおうさしているのは、非常に不思議だなあとも思う。そのどうやってきっかけを作るかという議論はとても大切かもしれないが。まあなんだっていいのだけども、本人がアーティストである以上は、何かを発言する根拠を作品や行動に結びつけることは、必須であるしそれを自己の存在証明としている限りは結論はない。

師走のメモ01

木曜日, 12 月 26th, 2013

人生はキーワードをいつも背負って生きることだと思うよ、と言ってもなんのことなのか自分でも分からないような発言ばかりしていて、人生が無駄だなあと思うけど、そんじょそこらのあいつにはあんなこともこんな事もやってやろうじゃないかと粋がっていくのが、明日への希望だったりもするが、さして能力にも恵まれない個人的な資質を呪いながら焼き討ちを目指して指の間接を折る。拾ったラジカセでCDを聴くのが人生の最愛の時間かもしれないと思うのは、貧乏人のやることだろうか、階級闘争はもう時代遅れだと思っているけれど。

リベラリスト

日曜日, 12 月 22nd, 2013

友人に内田樹の書籍を2冊を送ってもらって、なんとなく齧り読んでいると、人間的な欲望とは「他者の欲望」そのものに照準しているとのことが書いてあった。なんとも分かり易い言葉か、言葉のマジックだなとも言いたくなるけれども、反論は無いし、それを僕は実感することも可能だと思っている。ああ、あの人いいなと思っている人間の本質が、あの人の欲望をまるごと、自分に向けさせることで独占することが最終目的だと考えるとシャープに合点がいく。あと、今年も10日で終わるというのは、そんな言葉のマジックに浸ってしまいたいと思うようなエモーショナルな自分への合意が必要だったりもする。その他、「女は何を欲望するか」という書籍の導入では、フェミズムという思想言論がその先鋭性と全能感ゆえに、自己破綻をきたした昨今の事情を細かく明らかにしようと書いてあったが、導入の数ページだけの論理的思考の自由度の高さをリベラルさには驚いた。自分に引き寄せて考えるならば、冷戦以降のマルクス主義(マルクス・レーニン主義)という崇高で革命的な政治思想が、時代のなかでいかに破綻を迎えてしまったのかという歴史が示すような現実的なここ数巡年の道筋とも全く同じであって、非常に興味を持った。実際のところ、ひとが充分に物事を判断するためには、思想が必要なのかもしれないし、それが体系だった崇高な思想でないにせよ、世界観とイデオロギ−に準ずる基準を持たずに人が人として発言することは、ほぼ不可能ではなかと思う。それは何も思想哲学を確立することを要求するものではなく、ぼくらが生まれ育つと同時に、何らかの価値観の基に人は成長するということしか言えていない。それが全くない言わば純粋無垢の状態とというのは、言葉のマジックに過ぎないし、それを熱望することはそもそも可笑しい現象である。ぼくらは何らかの価値観と思想を選択する自由とその現実的な整合性のなかで、日々揺れ動けばいいと思う。

2013.10.5

土曜日, 10 月 5th, 2013

ちくしょう、もっともっと真面目に本当は書きたいことがあるのだが、全然かけずにいた。いま、2013年10月5日の朝4時8分だ、もうぼくは31歳になってしまった、非常に無念すぎる。本来ならば、ぼくが20歳の頃に思い描いていたような10年未来予想図とは果てしなく違った現実の前で苦しんでいるだけで、何にもならないばかりか、くたばる寸前ではないか。そもそも酒はほとんど飲めなかったにも関わらず、少し飲めるようになってしまったのも、今考えてみれば非常に諸悪の根源だったのかもしれないし、そういった悦楽をすべて絶ったところでもっとどうにかできる人生もあっただろうにと悔やまれるばかりで、もうどうしようもない。結局のところ、こうやって文章で書き留めることのできることは、事後の釈明ばかりであるからして、そもそも一歩も前進しないこともぼくの苛立を一層加速させるのだ。何も金持ちになりたいとか、世界征服したいとかの種類の野望を秘めているわけではないが、それとは別の種類の野望を胸にしまっている限りは、きっと死ぬまでこのままに違いないだろうと思うの同時に、付き合い切れない自分の情けなさにも同情が尽きた。感情的な人格と理性的な人格とが互いに進路を塞ぎつつある苦しみの中で、煙草だけが唯一の救いだ。雨。

リハビリ

水曜日, 6 月 5th, 2013

Twitterは基本、時間泥棒であるので、どうしてか、どうでもいいことを書いてしまって、最終的には時間を奪われた!と地団駄を踏むことくらいしかできない。携帯のsmsでも送れるような内容をわざわざ、公開しながらtwitterで書き込むことになんの意味はあるだろうか?ご飯食べいこうか、と誘うのに、なんでわざわざtwitterなのか、いや、それはもうそういう問題じゃない。むしろ、なんでtwitterで何が悪い、という段階まで来ていることを認めないといけないし、SNS疲れとかそういう類いのことを言うことに書いてるわけではない。ただ生活にひどく食い込んでそれられがある限りは、もうどっちが便利か早いかとかそういうことではなくて、それはツールとしての選択肢ではなくて、チーズバーガーかビックマックくらいの違いでしかない、そう、お腹が一杯になればそれでいいのだ。twitterでも文面が伝達することが実現できれば、なんでもいいのだ。技術の進歩はそいうことなので、ちょっとだけインタ−フェーイスなんかを替えたりして、多いに自分らの人類は進歩しているとうことにしておく。それが最大の時間泥棒と言うべきだろう。

以下は、今後の予定。

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作戦会議|丹羽 良徳 [投票できない選挙区へ投票しに行く]
日本の選挙制度は多くの場合、自身の住居を基に地域ごとに定められた立候補者へ投票する小選挙区ですが、この場合地域外の投票所へ出向くことはどんな意味があるでしょうか。論理的に考えて、門前払いされることは明らかですが、私たちが投票できない候補者とは何者でしょうか?
このようなアイデアを基に、参院選での撮影を予定しています。今回は、このアイデアを基に撮影する具体的な方法などを話し合う予定です。2時間弱の予定。
日程:6月15日(土)
開場:18:00 開演:19:30
料金:1,000円
ブランクラス
http://blanclass.com/


パフォーマンス|NIPPOUUNPO - GODZILLA and the PHOENIX
2013年6月20日(木) 11:00-18:00
http://ouunpojapan.blogspot.jp/
在日スウェーデン大使館


レクチャー|私的な前史的トーク、もしくは単なる四方山話
とりとめのない行為とその映像の記録。
ある言葉が現実を作り出そうとする時、フィンクションと
ノンフィクションの境界線を越境を軸に公共的、政治的、歴史的な時空を
転換させようとすることで、見える我々の鏡像とは何か。
残された現前の物事から、歴史を考える前史的に関するトーク。
00 前史と現在とどう付き合うか
01 作品の動機といわゆるコンセプトと言われるものの関係
02 制作現場で何ができるか
03 どうして作品は完成するか
日時:2013年6月21日(金) 19:00-20:30
http://500m.jp/news/1943.html
CAI02(札幌市中央区大通西5丁目昭和ビルB2)
TEL:011-802-6438
入場:500円(ワンドリンクつき)


グループ展|あいちトリエンナーレ2013
http://aichitriennale.jp/
2013年8月10日 - 10月27日
愛知県名古屋市、岡崎市各地

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グループ展|アウト・オブ・ダウト展――来たるべき風景のために( 六本木クロッシング2013)
http://www.mori.art.museum/
2013年9月21日[土]→2014年1月13日[日]
森美術館

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グループ展|ふくやまアート・ウォーク2013
2013年11月3日(日)から11月4日(月/祝)  10:00から17:00
福寿会館(予定) http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/fukuyamajyo/fukujyu/


グループ展|旅するアート
会期:2013年8月3日(土)~11月1日(金)
時間:7:45~20:15(最終日のみ17:00まで)
会場:札幌大通地下ギャラリー500m美術館
住所:札幌市中央区大通西1丁目〜大通東2丁目
(地下鉄大通駅と地下鉄東西線バスセンター前駅間の地下コンコース内)
HP :http://500m.jp/
主催:札幌市(国際芸術展担当部)
企画:500m美術館企画委員会


個展|????
Ai Kowada Gallery
2013年11月16日〜12月21日

メモ20130414

日曜日, 4 月 14th, 2013

正直にいって、ここ1年間くらいずっと心の底でわずかながら絶望を感じていた。それは具体的には、2012年の3月にモスクワから帰ってきたあたりからずっとだったのだけど、原因はいくつか思い当たることもあるが、それのどれも決定的なものではなくて複合的な要因のひとつであることは確かだとは思われる。絶望というと何かとんでもないショックを受けたかのように思われるけれども、そうでもなくて日常的にはそこそこに楽しいこともあるし、仕事だって比較的に充実していると言っても差し支えないとも思っているけれど、それは切り離されたところで、何かが絶対的に足りなくて、そこか不充足の気分を味わい続けているし、それがどれなにか微妙に判別つかなくもなってきているしから、ぞっとする。ぼくのすべての言動はなんらかの反感か反動でしかないし、あーいえばこういう性格になってしまったのも、そこに起因するかもしれないというかすかな憶測も感じてはいるは、そんなことはあまり訳にたたないばかりか、余計絶望するばかりだ。それもあってか、一時的にTwitterも辞めてし、facebookも情報を減らしていたのだけど、どうもその選択もあまり良くなかった。表に出す情報を減らすと、当然人の反応も減る。それらが人生のすべてではないが、生活の一部に根付いてしまった状況では、そうならざるを得ない。これがさらなる絶望をうむ。だからと言って、なにか解決策をぼくが今持っているかというと、そうでもない。小さいな幸せがどこかに消えてしまったのか、感じ取れなくなってしまったのか、平凡になってしまった生活がどうも息苦しいのか、いやそうでもなくて、30歳になった今が小さな頃に思い描いていたような輝かしい日々ではないということが分かってしまったのか、いやそうでもないだろうけれど。確かなことは、年々、小さなことで腹が立って仕方がない。元々捻くれていた性格が更に捻くれてしまったようだ。きっとこの先は、あらゆることに反抗したいと思うような、10代の初々しい初期衝動に満ちた日々に舞い戻るかもしれない。いや、現実的にそうなってくれさえすれば、結果とても喜ばしいことかもしれない。また心の奥底で、何か震災以降の社会にふつふつと苛立が溜まった結果どうしようもない、それでも街に繰り出せば洒落込んだ一見性格も良さげで正しい若者に簡単に出会えるこの捻くり返って腐敗しきった国に呆れ返ってしまったのかもしれないが、それは正直なところまだ分からない。いや分からないただ結婚したいだけなのかもしれない。ここは個人的なブログなので、アーティストとしての発言からもちょっと脱落して、いろいろ書かせてもらう。昔、インタビューで結婚なんてしないと粋がって言ってしまったのを後悔してるわけではないけれど、そういうことを言ってしまってる自分は何であろうかと今更思っている。価値は日々変わっていくし、更新されるものだ。

花粉症

土曜日, 3 月 9th, 2013

去年はなかったと思っていた花粉症が一気に重症になってしまって、困っている。薬に甜茶にヨーグルトに目薬全部やってみたら、さすがに効果があったみたいで、ようやく治まってきてはいるが、鼻は詰まるは、鼻水だらだら、目は充血でもう不快感が最高潮に達してます。ただし、こんな辛い思いをしても、これが過ぎさってしまえばきっとすっかり忘れてしまうんだろうな、ぼくらはそんな忘れっぽい人間で昨日あったことなんか、この際全部忘れてしまっているような、気軽な民族なのかもしれないと、やや飛躍した考えをしたくもなる。

仮想敵の宿命

火曜日, 3 月 5th, 2013

本当のことを言うと嫌いな奴がたくさん増えた。より正確にいうならば、どうでもいいと思えたようなちゃらいような人間について、悉く嫌気が差しているし、そんなこと合理主義的に考えれば、時間の無駄でしかないし、結局のところのぼくの敗北に終ることは目に見えているように明らかであった。しかし、そういうことで、ぼくとは何ら関係のない、オフィスで働く有象無象に対して、こそこそと苛立を覚えつつある。そうそれは、架空の敵であったし、折しも最悪の状況。仮想敵と闘うなんて、どんな暇人なことか。いや、そういうことで浪費している人生は、結局最大の不幸を呼ぶだろう。小さな頃はそうではなくて、世界は非常に水水しくそして輝かしくそして罪のない社会という個々の集合体なのだと思い込んでいたんだけど、どうやら違ったみたいで、30代の年齢の妙の影響もあるのだろうか、ひどく腹立たしい気持ちで一杯である。寧ろ、腹立たしく思っていない奴らに対して、酷く立腹するというある種の全体主義者である。いつかみてろ。

20130302

土曜日, 3 月 2nd, 2013

考えようによれば、非常に恵まれた時代に生まれていることは自認したいと思う。原発の問題だろうと一向に解決しないままでどうにかしちまうぜ、と思うこともたた存在するのだが既に白黒できない部分も抱えたままで、それをこれまで認めてきた歴史を考えれば、この現代は非常に恵まれている時代だろう。たとえ、自民党が「日本を取り戻す」とわけのからないフレーズを使ってのさばっていようとも異様に不気味な彼らは、これから朽ちるであろう政権の最後の足掻きであって欲しいものだ。いや、現実にはこれからもある程度は自民党も存続するだろう、だか小選挙区制度というカラクリから出来上がった国政が世論と離反しつつあるのは、たいていの人には実感のあることだろうし、そのカラクリが見え難いからゆえに、どうにもこうにもできない現実とそうじゃなかったという多重な現実がいよいよ立ち上がってきて、それでもっていよいよぼくらは22世紀を目前にして、すでに表面的には近未来となってしまった西暦番号を眺めながら。

20130222

金曜日, 2 月 22nd, 2013

あらゆるすべての女性が愛おしい存在であることを発見した。いや、そうでなくては困るということの表明であるのだが、そうだとは言わないで、別の表現を差し出すことにする。そうかと思えば、今日は丸一日、怒りに暮れてしまって、もう深夜である。渋谷駅でスウェーデンの男と待ち合わせをして、てくてく歩いて街の端くれの喫茶店でコーヒーをの飲みながら、ある企画に関しての彼の提案をずっと聞いた。それに対するぼくの返答はあまりに歯切れの良いものではなかったけれど、いまはそうすることでしか返答することはできなかったので、まあそういうことにしておいてくだせえ、ということで、テーブルに開かれたラップトップで元日本赤軍の重信房子の実娘である重信メイさんの肉声を初めて聞いた。人生初めて聴いた。メイさんが既に日本で暮らしていていたことが、ネットの情報か何かで知ってはいたのだけど、そういう類いのインタビューを実際に見聞きしたのは、たぶん初めてだったのかもしれない。不覚にも。2分程度の映像のなかで、彼女は予想外にも終止笑顔を絶やさないでいた。それがどんな救いなのか、そうでないのかもさっぱり僕には分からないまま映像が途切れて、喫茶店を出た。街は当たり前だが、人で溢れこれで毎日暴動が起こらないほうが不思議な位に溢れている。しかも、たいてい道を歩いている女性は意識しているのか、それも自分でそれを知ってるのか、どうかぼくは知らないが案外にも清潔感に溢れ、それでもってそこそこ小さな自意識が満足できるくらいには可愛かったする。かと思えば、帰りの地下鉄で隣り合わせた女性がその幻想を壊すほどに無礼な態度で君臨していたのには、恐れ入った。

日記02

日曜日, 1 月 13th, 2013

子供のころから、人生に過度に期待しまくってる癖が抜けなかったからアーティストになれた。そういうことに善し悪しはないと今でも思うし、善し悪しはあると思うのであれば人生やり直したほうがいい。という僕は他人に厳しいのかもしれない。単なる人生の分岐点に立たされた時に指針をもっておいたほうがいいというだけの話であって、それ以上でもそれ以下でもないから、そのどっちらかであるならばいいのかもしれない。ひょんなことから(いつもそうだと勝手に思い込んでいるが)作品集を作ろうと思い立ってから1年以上経過してしまってるけれど、ようやく本気でやるつもりになってきて、それも36カ国語に翻訳しようということで合計ページは計算上では、1000ページ以上になることになった。そんなもの発行できるのかどうかなんて、どうも怪しいんじゃないかとも思うけれど、まあそうは言わずとにかくやれるとこまでは、とことんやってやろうということにしておいた。そういうことで今現在、およそ13種類の言語の翻訳作業を進めることまでは、なんとか目処がついて、あとは残り2/3になろうかという段階である。

なぜ36カ国語の言語に訳そうかと思うのは、単純に言って英語グローバリズムに対しての反抗心であり、英語を使わずしても36カ国語に訳せるならば、世界人口の80%近くまでネイティブレベルでカバーすることが可能であるからであって、英語グローバリズムに対するオルタナティブな世界創造の実践であった。このことはエスペラント語にも通じることである。至極単純にグローバリスムの単純化の過程で消されてしまった、規模の大小を合わせて7千種近くあると言われる言語になかから、できるだけ多くの人口をカバーする言語を抽出した。ただし、ある程度の無作為な部分もある。

また、言語がぼくの作品において、非常に大きな役割を果たしていることが、この頃明確になってきている。タイトルと作品の関係からも想像できるように、すべての作品は作品内容がタイトルに準拠している。言い方を替えれば、タイトルの内容をそのままそっくり現実化するというスタイルを用いている。というのは、作品で扱う内容に一時的にせよ言語的に意味内容を正確に掴んでおいてから、そこから不明確な現実へとダイブするという過程を辿る。この事実は、無意識ではあったが、自分がアーティストとして独自性の獲得を目指すのと同時に、パフォーマンスという肉体メディアを用いていることに由来するかと思う。ぼくは、作品において、パフォーマンスそれ自体が表現ではなく、パフォーマンスがメディアであるということを重々考えて来た。この場合、パフォーマンス=行為と置き換えて差し支えない。メディアであるからには、媒介する先があるということで、何らかの社会的、共同体的関係性の中でその行為が行われていることを意味するわけで、ダンスや演劇のようにその肉体の美しさを問われることはない。ぼくの行っている行為とは、世界史的に人類が、もしくは自宅の隣人が何の疑問を持たず日々行うそれと同じく解読することが可能である。ただし、ぼくの行動は、部分的に目的が空白にされていることが多い、ぼくのその部分を行為によって媒介させようと試みている。というわけで、ぼくの作品のタイトルは言語的に明確に意味が取れなければいけない。

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金曜日, 1 月 11th, 2013

問題は非常に簡単だった。それは科学者のマービン・ミンスキーのいうところの「ほとんどの人は情報を伝えるためではなく、自分が安全な人間であることを示すために会話している」というある種の人間にとっては逆鱗に触れてしまいそうで、ある人に当たり前のことで何が問題であるのかさっぱり理解できないような問題提起であったからである。私たちはなぜ会話を必要としているのか、私たちはなぜ沈黙を恐れているのか、といった根源的な問いかけ以上に、それがそうとも気づかずに会話することはいいこだとタカを括って生きていることへの批判でもあって、会話がもたらす気づかない自己保身と正当防衛機能を忠告しているようだ。だがたいていの人は自分が今、自己防衛の為の言い訳をしてるなとかを気づく事ができるが、それだけが問題というわけではなく、ただ他人と会話するごく自然の生活行為の一端が既に自己保身系への出発になりかけているのではないかという忠告であったならば、こんな怖いことはない。
まさしく、私たちの日々は昨日と今日はどれだけ違っているのかということを厳密に問われている。ただし、その問いかけに気づいている人はすくない。

殴り書きのメモ01

火曜日, 1 月 8th, 2013

過去9年間の作品を編纂してアーティストブックを準備してます。ぼくの作品はどのような形式で語られるべきか検討した結果、できるだけ明瞭に作品の内容を日本語で書いてそれを36種の言語に翻訳することにしました。そうすれば、世界人口の8割くらいはカバーできる。あからさまに、英語標準化に対するオルタナティブを作ろうと思った。ちゃんと進んでるからすごい。何か言い出すとちゃんとリアクションがあるから人生は頼もしい。言語処理の研究者から外国語講座の先生までご協力頂き本当に感謝してます。出来るのは随分先になりますけど。ひとまず自分を叱責するつもりで、記しておきます。

現在、日本語、フランス語、ロシア語、エスペラント、ロジバン、韓国語、中国語、トルコ語、アラビア語、インドネシア語、ペルシャ語などの言語については、翻訳作業が徐々にですが進んでおります。おおよろ全体の1/3にあたる言語がカバーできたということです。これからは残りの作業を進めると共に、そもそもぼくがやろうしていることの自分のテキストを書こうか(書かないという選択肢も含めて)と考えているのだけど、どうもこれがおかしい。何かおかしい。ぼくはアーティストなんだから作品をバリバリ作ればいいじゃないかとも思うけど、なんでご丁寧に説明してしまうんだかと疑問に思う節がないでもない。というのは説明というのは、しなければ分からないし、程度が過ぎるとうっとおしいとなる。ぼくの場合、この案配は重要なのではないかとも考えられる。もっといえば、ぼくの説明によって作品が陳腐にもなるし、面白くもなるかもしれない。そうなってくると一層複雑で、作品にある程度の解説というか(なんで、そして何をどうした)っていう程度の説明は必須だと随分と前から思っていたけれど、じゃあ全部して説明して差し上げましょうというのでは、じゃあ作品観る意味がないじゃないの。と言われても当然で、それは僕が度々訪ねられる「展示する意味は?」という質問と随分と密接に繋がっているんじゃないかと直感で思った。まあ極端にいって、ぼくは直感と論理的な思考を分けて考えてない。

back to the future 2004 in 2012

日曜日, 12 月 2nd, 2012

昨日から新しい展覧会が始まりました。簡単に言うとデビュー作をリメイクするという主旨の展覧会で6名の作家がデビューした(ということになっている)卒業制作や過去の作品を2012年に再制作するような形式になっています。ぼくは2004年の「水たまりAを水たまりBに移しかえる」パフォーマンスをリメイクしております。これからカタログ制作の準備に取りかかろうかしらなんて思っておりますが、8年という歳月によって何が変化して、そもそもリメイクすることにどんな意味があるのか、それは本来的に可能なのかどうかなんていうことを少し書こうかしらと思っています。カタログの予算が足りないらしくREADYFOR?で支援を募っていますが、あと半分くらいで成立みたいです。ご支援頂いたかたどうもありがとうございます。展示が始まりましたが、これで終わりではなくて、これからまた始まってしまいますので、どうか引き続き宜しく。

but fresh

昔ばなし

火曜日, 11 月 6th, 2012

中毒。たいていの場合は、想定よりも現実が大変だということは経験的に分かっているつもりでも、無謀なことをやらずにはいられない性格なのは、きっといつ死んでいいじゃないかという用意をしているようなものだ。出遅れた筋肉痛が過去からの贈り物だったとしても、潔く受け取っておこうなんてかっこ良く言うよりも単なるそれはぼくの準備不足と運動不足が祟っているだけに過ぎない。いや、運動はしている。運動はし過ぎているが、それに適した筋肉を使えていないだけだ。いや、それを運動不足というかもしれない。いずれにしても、眠いなんて二度と言うか。そんな呆れそうな天の邪鬼な性格をどうにかしたいとも思うけれど、もう手遅れなんだ、そいうことはきっと両親を呪ってもどうにもならないし、自分を呪ってもそう簡単に呪縛からは抜け出せない。卑怯な手かもしれないが、いっそのこと天の邪鬼を生きるしかない。分かっているつもりでも、その分かったと思う根拠はいつも論理ではない。

観光地と観光客の関係性

水曜日, 8 月 8th, 2012

2012年。この当たり前の年号におののくは、きっとこれが現在であるからであろう。現在進行形の新しき今日というのは、常に絶えず更新されうる状況を待ち望んでいるにも関わらず思考は混沌した状態から抜け出すことはできずに震え上がるばかりで、いっこうに明日にはいけないで、どうしても明日に見えていたものが今日にすり替わってしまったところで、ああしまった、と嘆くばかりではどうしようもない。それは置いてきぼりを喰らった少年にように、健やかに見送るわけにもいかないので、冷や汗まじりに臭い吐露を投げ出すばかりかもしれないが、昨日だってそうだったに違いないと結論をどうにか穿り出す。奇妙なことに、世界の端っこであったと思われていた思想は既にもうどこにもない、ただただあるのは、とんでもない距離の向こう側に見える不確かな終焉だけであったのは、今も変わっていないように思う。それはぼんやりと第三者を冒涜することが可能なこの世界の特徴なのであった。運命とは無縁に、街でふいにすれ違ったあらゆる他人のことを考えてみるといい、それはきっとぼくや私という主体性のマジックからは到底考えも及ばない世界を生きていると同時に、社会という同じ名前の幻想を生きると信じてやまない。それは「私には関係がない」という存在の極地から生存の可能性を破棄しつつも、同時に自分の生命維持の最前線を行くものである。それは自己保身と自己防衛の武器である。どう考えても、私とは関係がないという極地から走り始めることが、この2012年の流行語大賞になってしまっても、ぼくは説明できるぞという気合いにも似た確信を持ちながらも、それはきっと私には関係がないというマジカルな部分として、切り捨てられることで会話不能となったところでようやく現前に姿を表すという矛盾した存在なので、どうも会話にはならないらしい。つまり、それは観光と観光地という関係に集約される比喩的な存在であって、資本家と労働者という使役の関係ではなく、そこにあった空間と、無関係にどこからかやってきた客人の関係であった。その関係には、歴史や地理的ななんら一切の必然を感じられない。唯一関係を繋ぎ止める根拠といえば、客人が客人となるための自主的な動機でしかないのであった。それはぼくにとって、非常に希望に満ちた関係のように思われる。

リン・ラムジーの映画によせて

土曜日, 7 月 28th, 2012

リン・ラムジーの映画を2本観た。どちらの映画も孤独と闘う人の映画だったと言えよう。片方の映画は、クリスマスに彼氏が自殺したシーンから始まった。最愛の恋人が急逝し、残したのは書き終えた小説原稿とカセットテープ。出版社へ持っていくようにとの指示だったのだけど、その前に彼女は著者名を自分の名前に書き換えてしまう。彼の死体も警察に届けることなく、自分で切り刻んで山に遺棄してしまう。恋人同士の恋愛があくまでふたりの個人的な関係である限りでしか恋愛は存在できないと言わんばかりに、彼女は彼の死を「社会化」することを拒んだように見えた。もっとも死んでいるのだから、恋愛はふいに終わらされたのだけれども、それを第三者である警察か家族、友人、会社の同僚に伝えることによって、彼の死を相対化することはなかった。彼女によって関係を相対化させられない気持ちがあったのだろう。もちろん、ここには救いがない。孤独しか待ち受けていないわけだが、それを選択しないわけにはいかないのが、個人史としての恋愛の終着点なのかもしれない。

考えてみれば、ひとはどのように結婚を決断するのだろう。年齢的、経済的にいちどきりの人生において、愛する人との最終的な契約=結婚に踏み切る理由があることはよくわかる。ただ、どの地点から個人的な恋愛に社会的な結婚を結びつけるのだろうか。個人的な恋愛を成熟させて、ついには第三者にも認めてもらおうとする欲望が結婚なのだろうか。しかし、第三者が認めないでも愛は存在できる。それとも社会制度的にも責任を負うことを認めることで、永遠の愛を誓うことなのだろうか。

いずれにしても、リン・ラムジーの映画では、結婚が重要なモチーフになることはないが、恋愛関係や家族関係の中で生まれる事情が、社会化される瀬戸際スレスレのところで揺れ動く人間の感情が読み取れる。それは、映画そのものが、人々が映画館に集いながら他人の人生を覗き見するという娯楽であることに結びついているように思えてならない。映画が生まれると同時にぼくらは、ひとの人生の苦しみや喜びを知りその感情を何倍にも増幅してきたけれど、それと同時にぼくらは自分の人生が最後まで他人との共有でききない、社会化されないごく個人的な記憶や感情を持ちながら生きているという事も思い出してしまう。人は何歳になっても孤独かもしれないし、死んでも孤独かもしれない。寧ろ、最後に死んでしまうから、孤独じゃなかったという言葉が後から追いついてくるだけのような気もする。直感だけど。