Archive for 8 月, 2008

たのしい朝食会の写真

日曜日, 8 月 31st, 2008

たのしい朝食会

たのしい朝食会

代々木八幡で行った「たのしい朝食会」の写真が届いた。まだこれは今月のことだったのか、なんかすごい昔のことだったような気もしないでもない。

蛍光ピンクの活版名刺

土曜日, 8 月 30th, 2008

yoshinori niwa

活版印刷の名刺が届きました。ちょっとややしてて時間がかかりましたが、とても良い出来映えで見事だと思います。久々に名刺を作り替えたので、ようやく安心です。

ふしぎ

金曜日, 8 月 29th, 2008

国際電話がうまくつながらない、なんでだろうか。同じ番号をプッシュしるはずなのに、繋がる時もあれば、「こちらはKDDIでおかけの番号は…」となる時もある。何故だ?

ぴかぴかぴかぴかびか!ぴか!

金曜日, 8 月 29th, 2008

ぴかぴかぴかぴかびか!ぴか!

そう、多摩美でのプロジェクトの内容はこんな感じだ!

乞うご期待!

明日は、エメラルドグリーンのベレー帽が届くぞ!

大虐殺とひとのセックスを笑うな

木曜日, 8 月 28th, 2008

馬鹿を見るということを言うひとがいる。

ぼくは馬鹿を見た。映画の中に馬鹿を見た。映画に出てくる人はたいてい馬鹿だ。みんな馬鹿だ。大虐殺という映画の古川という人は馬鹿だった。無政府主義者の大杉栄が殺害されてから、社会主義者の同士が軍にテロを起こすという話だったのが、その古川は馬鹿だった。「怒りは怒りとして爆発させるべきだ」「テロだ」と叫びながらも、同士に落ちつけと言われて、悩み果てるが、最後はやっぱり爆弾テロだった。やるんだとしか考えられないのだ。やっぱり馬鹿だ。でもぼくも馬鹿のほうがいいなと思うのだった。それでいいんじゃないかと思う。どれだけ馬鹿にちゃんとなれるかだと思う。いいかげんに、こちゃこちゃ言うのはもう嫌だと思うから、僕も馬鹿だ。

なんだか先行き真っ暗だと思われても来るのだけど、それのほうがいい。やっぱり。そう思うほうが絶対に正しい。いい加減な論議はもういい。ちゃんと滅茶苦茶になれる人が一番よいんだ。映画関係でもう一つ、ちょっと前の映画で「ひとのセックスを笑うな」があったけれど、ストーリーだけざっと見たのだけど、やっぱり馬鹿で良いなと思った。

そうだ馬鹿を見たい!

DBC|インターネットラジオを聞きながら

火曜日, 8 月 26th, 2008

最近、インターネットラジオにはまっている。どこの国のラジオでも接続環境さえ揃えば、聞くことができるし、それに無料だし(当たり前なのか当たり前ではないのか、ラジオは無料なの)、いろんな情報が各国の言語を駆使して伝えらてくる。今はDBCラジオとdublub、英語で話しているので恐らくアメリカ(イギリスではない感じがする)の放送局なんだろうと思う。なんとも言えない、まったりした民族音楽からノイズミュージックからテクノまで何でも流れる。もうこれだと、CDいらないなと素直に思うのは、そうだろう。まあ、ラジオ画面に放送されているアーティスト名と曲名も表示されるので、気になる作家の情報も簡単に調べられる。まあいいだろう。その反面、気になるのはアーティスト自身はそれでどうかわるのだろう。単純に考えると儲からなくなるのはそうだろう。次だということか。アマゾンのようにロングテールでどんな無名な作家でも少しは売れるようになるのか。

で、今日は雨で洗濯もできず、かなわないのだけど、なんとか無職(なにもしていない)というのからは脱出できそうなので、少し安心だ。今朝、いきなりMTV asiaから国際電話がかかってきて、少し驚いてしまい(寝ていたので、へなへなな声を出した)てんてこ舞いだが。MTV関係の仕事はアーティスト活動とは全く関係がない単純な仕事なので、まあいいかということで、やっているのだけど、ここ10月までちょっと忙しくなりそうだ。

中国帰国早々、多摩美でのプロジェクトもあるのでここの9月が実は正念場、忙しいぞ。

シネマヴェーラで「狂わせたいの」と「大虐殺」を見て、ああ狂わせたいのは正直、つまならないなと思うが、大虐殺がすごすぎて、今日もまったり。

電送人間と女体渦巻島

月曜日, 8 月 25th, 2008

渋谷で映画二本。電送人間と女体渦巻島2本立てはやっぱり、ちょっとすごかった。ついでにユーロスペースの可愛い女の子に話しかけて、少し仲良くなった。雨のなかこゆうときは映画だ!なんて思うのは、よいのかもしれない。やっぱり映画の登場人物というのは、これまたどうしようもない境遇の人ばかりでたまらない。また、今後すぐに行こうと思っている。大杉栄を題材にした映画大虐殺が上映されているらしい。明日はそして、新宿二丁目で夜は打ち合わせ。こうゆうふうに書くとちょっと怪しい感じがするが、そうでもないし、そうでもあるのかもしれない。

また明日。

だから絶えずこうでもないああでもないと言わないといけないんだと分かる

火曜日, 8 月 19th, 2008

制服を返しに新宿へ、ちょっとだけ挨拶をして、珈琲をおごってもらってお話をする。ああ、あまり変わりないのだなあということを確認し、その足で歩いて代々木まで野菜で夕飯を作ってもらう。途中、トラブルがあって郵便局へ松尾君が何度も連絡をする。面倒なことになったようで、途中ぼくも電話に参加する。探して回ってもない。いよいよ、夏バテが最悪な感じでよく疲れが出る。それは別な原因があるのかもしれないのだけど、そうは思いたくもないので、そうはさせない。なので、ちょっと気合いを入れて、自転車で新宿まで、やっぱりあのママチャリだとちょっとお尻が痛くなるし、ペダルが重い。オカダヤで買い物をして、そそくさ帰る。リュックが汗でベドベト。

すこしだけ涼しくなった夕方に茄子カレーを作って、オリンピックを見る。女子体操個人でアメリカのジョンソンさんという女の子が勝った。優勝した。ぼくは何故かロシアの女の子を応援していた、ものすごい中国の応援で中国の選手が何かするとすごい声が聞こえる。残念ながら、中国の選手はかろうじて銅メダルだったのだけど、それでも快挙だろう。ぼくはちょっとこうゆう国際大会が気になる。スポーツはとても苦手なので、野球もサッカーも全然見ないのだけど、世界というのがどこにあるんだろうというこを少し漠然と考えることができるからなんだろうなあと。思う。つまり、平々凡々と生活をしていると、極端に言えば寝て起きて、ご飯を食べていれば生きていけるのだど、そうもいかないというところに、人間のジレンマというか宿命とかいうのがあって、そうなのだから余計なこともたくさんやることになっていて、そんでもって争いも愛も生まれていて、それはそれで大変なのだけど、まあそうゆうことになっているのだから、面白くもあるんだと分かる。面白いって思えるのは、何か新しいことが始まった時のことであって、それは意識の中だけの話でもあってもいいのだけど、そういうものが無いと人間は根源的には死んでしまうのであって、だから絶えずこうでもないああでもないと言わないといけないんだと分かる。

流れ星。

やっぱり、いつも気になってしょうがないのは、いつも現在でしかないということがすごく面白いなあと漠然に今日は考えている。明日はこれをやらないと、次にこれをやってこうやって、と毎日考えている明日っていうのは、何なのだろう。

とりあえず終わったので

日曜日, 8 月 17th, 2008

のんびりとする。締め切りがあるものだけ、ちょっとだけやっておいてあとは、ほっておく。明日は少しドイツ語の勉強をしようかと思う。

ぼくは包丁で柱を刺したのだという夢

火曜日, 8 月 12th, 2008

奇妙な夜明けに雨がふる。去年ドイツでも雨がふった。紫色の夜空がいま、大変なことになっている。ちょっとだけ夏バテのような気がしているのだけど、本当に気がしているだけなのかもしれないとも思っている。本当のところは、いつまで経っても分からないので、少しだけ萎える。ラディカリズムの意味がやっと「徹底主義」だということで、何となくぼくのなかで納得がいくようになった。その言語の意味の差異や誤解とでもいうような事柄をどう捉えていくのか、というのがとてもぼくのなかで興味深く、さらにやや深刻であり、やや親密でもある。誰にとっても過去は変更はできないものだと信じられているのだけど、ややぼくはその操作方法を見いだそうとでもしようかと。

お昼のラジオで前立腺ガンの話題を聞いて、老人になって検査をすれば発症するか否かは別にしてすべての人に前立腺がんが発見されるという内容の話だったと思う。前立腺がんを持っていても、それを知らぬまま、発症しないまま死ぬ人もたくさんいるそうだ。彼らにとって前立腺がんというものは、言葉前段階の存在ではないだろうかということを思い、そうゆうこともあり得るのだということだ。

感情が爆発し(原因は不明)包丁を持って怒り狂う夢を見る。ぼくは包丁で柱を刺したのだという夢だ。たぶん、新撰組の斉藤一のことを少し調べていたからだと思うのだけど、現代もとんでもない時代だと思うというもの、とんでもないと言われそうだ。というのがとんでもない。ぼくは何となくだが、少しだけいつも「チャンスだ」と思っている。ふ。

またお化けを見た

月曜日, 8 月 11th, 2008

歌舞伎町の路上である男性が目の前で痙攣(癲癇かもしれない)を突然起こし倒れたので、ぼくは急いで救急車を呼んだ。おそよ10分くらい発作が続いたのだが、救急車が到着して間もなく、落ち着いたようで、正常に戻った。ただし、足付きはふらふらであった。実はかれは以前から新宿にいる路上生活者なのだが、ぼくは彼の顔を覚えていたので、これはヤバいと思い、救急車を呼んだ。彼は以前から癲癇を煩っていたのか、それとも何かの病気が原因でそうなってしまったのかは、定かではないが、何やら怪しい雲行きであった。ぼくはその当時、仕事中だったのだけど、それどころでは無くて、仕事を放ったらかして彼を助けようとした。

救急隊員のケアでなんとかなり、その後、なぜか警察官が駆けつけて彼を連行していった。理由は知らないが、何かまたお化けを見た気がした。次の日、また彼と同じ場所で再会した、彼はいつもどおり、地面につまらなそうに座って、僕を睨んだ。ぼくもじっと彼を見つめたが、何もなかった。

路上生活者はいつどこからやって来て、どこへやっていくのだろうと思うことがあり、歌舞伎町の路上生活者も一年前の顔ぶれとは全然異なっているのだ。昔、いた頭に怪我をしたあの人はどこへ行ったのだろうか。旅はするはずもなく、どこかへ急に消えてしまう。ここ3年程、ずっといるあのカール・マルクスのような風貌のあの人はいつここにやって来たのかは、ぼくも知らない。

空中大学ー樹の上にもうひとつ学校をつくる

金曜日, 8 月 1st, 2008

多摩美の学生との打ち合わせでこんなアイデアを。大学構内には大きな樹がたくさんあるので、その上に小屋をいくつも設置して、そこで架空の大学講義をしようかというアイデア。内容は政治、社会問題、アートなどいわゆる美術大学では扱わないものがいいと思っているので、ベーシックインカムや社会構想案などのディスカッションも面白いかもしれないなと思っている。地上10mくらいの場所に小さな木造の小屋を設置し、そこで夜な夜な会議なのだ。実はこれ、多摩美の芸術祭の為にぼくが考えた作品アイデアのひとつ、今年の芸術祭の企画で招待されて考えはいるのだけど、いまだ纏まらず。明日に持ち越し。