Archive for 2 月, 2009

刺激が頭に刻み込まれたのだ

木曜日, 2 月 26th, 2009

新宿西口のぼるがで近藤くんと松尾君と題府くんと田頭さんと飲む。よっぱらってしまい久々に刺激が頭に刻み込まれたのだ。

今日の教訓は

やっぱり純粋で嘘は嫌だでやっぱり可愛い子がいい、そんでもって逃げるなよ丹羽良徳!

まけるな!そう、燃料サーチャージも90%くらい値下がりしたし!いままで何だんだろうかと思うけど。

4:10

日曜日, 2 月 22nd, 2009

なんだか良く分かって気がしてきた。どこで誰がどんなどんな風に、人のことを批判してようとどこかで誰かがぼくのことを批判してようと馬鹿にしていようとも、誰かがぼくのことを変態だと言ってようとそれでも、ぼくはそのひとのことを絶対に憎んだりしないでおければいいのだ。それが一番じゃないかと思うというのだ、笑ってその人に話しかけれればいいのだ。それを純粋にできるということがぼくにはとても素敵だと思うし、それだけが唯一の純粋なのかもしれないということを思った。やっぱり怒るこはぼくには出来ないのだ。それだが必要な世界もあるのだろうけれど、ぼくには僕の純粋性があってどれだけ馬鹿で下手でへなちょこであったとしても、ぼくはぼくの純粋性に向かって生きていかないと行けないという宿命または使命があって、それことがいまここで言うような無批判であってそれこそが、ぼくに一番必要なのだ。そこから、論議というものが沸き起こるはずであって、それまで到達できないというのなら、まず無批判に受け入れることが必要なのではないかと思うだけなんだ。批判ばかりしていても、何も話しをできるようにはならない。だから、ぼくはもっと過激に半端無く挑戦的でおっかくなく、亀のひと吹きで死んでしまいそうな危なそうな賭けに出ないといけないのだ。それを純粋に信じれるかどうかということだ。誰も批判せずに。人のことを考える前に自分を試さないといけないのだ、人生まだ始まったばかりなので、人の事を言うのにはまだ早過ぎるというわけだ。そう、まだ4時。明け方なのだ。明けるのだ。神。これまでにも、何度無く考えてきたけれど、その度にちょっとは純粋に真面目になれかたかなと思うのだけど、まだまだだということだ。まだぼくには試練がいっぱいある。自分の中にあるカッコいいと思ってしまうような価値観を追放してしまって、もっと震えるような価値を炙り出さないといけない。

10分くらいに山手線のなかで起こったこと

金曜日, 2 月 20th, 2009

まず、終電間際の山手線に乗り込むと隣にいたサイモンというオーストラリア人にその赤い帽子COOLだねえと話しかけらて、どこで買ったの?と聞かれたので代々木公園のフリマだと言って笑った。本当は高円寺の救世軍バザーだったのだけど、ああそうだと言ったあとで間違えていたことに気づいたのでまあいいかとした。で話をしているとサイモンはモーショングラフィックなどを扱うコーマシャルの会社で働いていて、いまシドニーからロバートが来てるんだよと隣にがたいが良いのだけど寡黙なオーストラリア人がいて、見知らぬ人とどうやって出会うかなんて簡単だなと思っていろいろ話をしていて、まあここまででも結構面白いのだけど、今日はこれで終わらず。なんとなく車内が騒がしいなと思っていて誰かがドアを叩きまくっていて、また誰か暴れているのかなと思った。でその後であー!痛い!痛い!本当に痛い!と声が変わってきて、なんだとうと見ているとある男性の指がドアの上部に挟まれたまま電車が走っているじゃないか!ああこれはちょっとヤバい!ぞ!と!周りにいた日本人はやや愚痴をこぼしてるだけで何もしないので、しびれを切らしたサイモンがPush Fuckingggg Button!!!!!!と叫んで!!そんでようやく事が動いてだれかが非常停止ボタンを押して、すぐに電車が急停車して、そんで非常コックを回して手動でドアを開けて、その人はドアから解放されて、指は骨折寸前(骨折したかもしれないけれど)ボロボロになっていて、ああああああよかったねえ!!!!!とサイモンが叫んでなんだか、面白い雰囲気になったのだけど、周りの日本人がまた愚痴をこぼしているを無視して、サイモンと大声で笑いながら楽しく電車に乗った。で、高田馬場乗り換えだけど、サイモンに「高田馬場に着いたよ!」と言われて降りようとするとまだ新大久保で、また笑って。よし、また電車で再会しようと約束して別れたのだ。今日はいい日だったんだ。

新潟の若い夫婦

水曜日, 2 月 18th, 2009

昔のアルバイト先で、もう嘘のない人生が送りたいのでもう辞めるよと言ったことがあったので、そんなことが言えるうちはまだ元気なんだろうなと思いだしたので、まだまだ20代の人生も半分あるじゃないかと面白くなってきたので、良かった。それで本当にアルバイトを辞めてしまって後悔はしてなかったし、それで何が良くなったのか分からないのだけど、そんなふうに仕事を辞めてしまうのは不謹慎かもしれないけれど、どれだけそんなふうに行動できることが重要なのかということを考えた。たぶんこれからもそんなふうに仕事を辞めてしまうかもしれないし、そんなことを大真面目に話をできることができる友人がとっても大切で、涙がでるほど切ないと思う。今日はテレビで新潟の若い夫婦の出産ドキュメントを見て泣いた。何も特別なことじゃないのかもしれないし、それを積み重ねてやっと人類が生き延びてきただけなのに、そこに感動があるなんて、どんなに面白いことなんだろう。今月は、ぼくのインタビューが2件でます。おたのしみに!

すごくビックリした!

土曜日, 2 月 14th, 2009

http://www.someonesgarden.org/

いきなり大丈夫なんだろうか?

たぶんまだ

日曜日, 2 月 8th, 2009

渋谷区立松濤美術館へ友人のコンペの授賞式へ行く、式のあとで地下室で茶菓子が用意されていて、珈琲とお菓子をたらふく食べる。その後で台湾料理を食べにいって、あーだこーだ言っているうちに仕事の時間になってしまったので、ここでおいとまと言って仕事へ向かって帰る頃にはもう終電。下井草の夜道が奇麗だと思ってしまって、これは4×5で撮影してみたいなあとなんとなくのことを考えながら、最近はやや暖かくなってきたなあとなんとなくの感想を持った。本当ははやくカメラを購入してしまいたいと思うほどにそわそわして、なんともならないので本当に買うんだと思う。それはタイミングなんだろうけれど、たぶん近いうちに。やや精神的にまいっている部分もあるので、なんだか力が入り切らないで、不完全燃焼かもしれないのだけれどもこれはおそらくそのうちに爆発するのかもしれないと音楽を聴きながら思う。もう一度、過激になってみたらどうだと囁いているとも思えてくるので、そこらへんはまたもう少ししたら分かってくると思う。それほどに揺れに振れて揺れているので、ゆりかごなのです。現代の東京に暮らしていたって、確実にあぶない橋を渡っていることには間違いないのだから、いつだって過激に後戻りできないような方法で爆発してみせてやるのもいいかもしれない。ちょっとロマンチック過ぎるのかもしれないけれど、最近はロマンティックが足りないのかもしれないとも言えるので、丁度いいかもしれない。ガラス越しに映った自分の姿睨みながら、やや変態かもしれないなと思うけれど、そのほうがいい。たぶんまだ。

西武新宿線の電車のなかで考えたこと

金曜日, 2 月 6th, 2009

神様。慌ただしい生活の中で何が一番大切で、何をしないといけないのかなんて本当は良く分かっているはずだけど、精神だとか、お金だとか、政治だとか、社会だとか、他人だとか、共同体だとか、革命だとか、なんだか人は良く惑わされているのか、それとも本当はやるべきことも何も知らないのか、それとも知ってはいるけれど、それは優先順位が低いのか、それともその為の準備期間なのか、そうそれを見極める必要がある。ただただ、晴れた昼下がりに食べる美味しいあのカフェの日向ボッコは、たぶんいつか悲しい記憶になってしまうかもしれないけれど、それでもいいのだという不器用さで生きていければ、いいとぼくはいつも思ってしまう。なのだから、よく人には真面目すぎるとか怖いだとか言われるけれど、それももうそろそろ慣れた。愛。

ポラロイドフィルムの歴史

木曜日, 2 月 5th, 2009

とあるフィルムがヨドバシやビックカメラの半額以下で購入できることを知って、愕然とする。なんだか今迄払っていた金額は一体なんで、物の値段はどうやって決まっているんだろうかと考えると不思議なものだ。あたりまえだけど、業者はできるだけ安く仕入れて、できるだけ高くもしくは沢山売るわけで、そうしないと存在できないようになっていて、当たり前だけどそれを続けていかないことには存続さえできないので、売れないものは消えていく。だからポラロイドだって製造終了したし、それはぼくらが使わなくなったことで売れなくなって、儲けられなくなったので終了した。当たり前の構造だけれども、怖いものだとも思う。いまこうやってみているものは全部必要だったのので、そうやってできている。だから一番簡単なことは皆が欲しいものをできるだけ安く手に入れて、高く売れば良いのだから、アメリカは中東の油田をできるだけどうにかどんな方法でも良いから手に入れて、売るというのだ。そうやってこうやって、なんとか車が走ったり、カメラで写真が撮れたりするのはなんだか面白いなあと思うし、そこに悲しさはないけれど、そうなっているのだなあと思う以上の想像力がない。何もぼくはお金がないのではなくて、東京という街の物価の中で生活とアーティストの活動をするのにはちょっと足りないだけで、全然貧乏でもなんでもなくて、寧ろお金も贅沢なご飯もビールも珈琲もパソコンも手にいているのだから、あまりうじうじ言うのは嫌だと思う。だから、そういった構造のなかで如何に、その影響を受け難いところ探して購買していければ、もっとお金がなくても裕福な購買活動ができるのかもしれないという淡い期待。

5:47

月曜日, 2 月 2nd, 2009

こんな時間だけど、今日は何も書けない。