Archive for 2 月, 2010

たぶん旅をするだけだ

金曜日, 2 月 26th, 2010

小さなアートマガジンの取材があって、今日掲載された雑誌が届いた。愛してるよ、というのはお命頂戴というかあなたの命を預かるわ、ということなんじゃないかとなんとなく思っていて、そうか好きだというこは生命に関わることなのかと思うと急に緊張するというか、僕たちの身の回りの社会だとかそういういった類いのものたちがいつのまにか痛くないような感じがしているというか、苦しみがないというか、健康的過ぎるというか。ぼくはいつだって生命の危機に晒されていて、だからぼくは何だか健康的で放牧的な映画が嫌いだ。そいいった意味でエコとかロハスというものも苦手になっていって、なんでなんだかいつの間にか27歳までになっていて、ぼくだって歳は取りたくないよと言っても誰も許してくれないから、ぼくが勝手に許してあげることにしたい。初めて出会った女の子の最初の言葉が「許す」だったら、どれだけ救われた人生を送れることができるのだろうかと想像することはとてもどきどきすることだし、ぼくはいつもだれもかも何となく許した気持ちになってきた。人生には、いくつかの人の出会いが設定されていて、そこでいくつかの問題が出されてくるのだけど、ぼくはいつもそれを許すことで解決するというのは、やや感情的過ぎるのだろうかと思うこともある。ただ、ひとつだけ気づいた事と言えば、構築的な討論というのはもはや想定することが不可能なんじゃないかと思う節があって、何が言いたいのかというと人生はきっと議論なんてできないということであって、じゃあどうするのかは知らない。たぶん旅をするだけだ。

何でも困った事があったらいつでも連絡ください

水曜日, 2 月 24th, 2010

今日はすごい晴天なのだけど、雪が降っているという不思議な天気。ようやくプロジェクトも慌ただしく動き出してきて、写真の打ち合わせとか照明技師との打ち合わせとか急に1日3件くらいの打ち合わせとかがあって、嬉しく思っている。そこで、なんだかドラえもんの歌が聞きたくなって50回くらいリピートしてみた。深夜スタジオの中でアンアンって言う女の子の声が響いてなんだか変な気分になった。と考えていたらなんだか世界が急に至極シンプルに見えてきて、ああそうかだねえとか勝手に考え出して、朝一番に封筒と絵葉書なんか買いに行ってみた。昨日はバーで数学者の男の子に出会って話していると数学はつまらないから多摩美でメディアアートを勉強したいんだって言うから、オッケーじゃあ僕のカメラのレンズキャップを眼鏡に填めてと言って写真を撮った。

アンパンマンの歌は「そうだ嬉しいんだ」というフレーズがすごく好きになって、そうだ、って言うところのなんとなくそっかーみたいな感覚が面白いなあと思う。アンパンマンの歌詞も浜崎あゆみの歌詞も篠原涼子の歌詞も、すごい似ている気がする。そう考えるとぼくも難しいふりをして生きているだけなんじゃないかとも思うし、今までなんでわざわざ複雑に考えるふりをしてないといけないんだろうかと思い始めた。ヘルシンキで出会ったシニという女の子は来週には東京国際芸術見本市というダンスの芸術祭に招待されて東京に行くと言っていたけれど、彼女はダンスでSonyのAiboを使うらしいけれど、バッテリーチャージャーがどこに行っても見つからないらしい。そんなのsonyに問い合わせればいいじゃんと思ってwebでそれがめちゃくちゃ複雑でなんでか良くわからない電話番号が沢山載っていてどこにかければいいか良くわからない。ようやく見つけた連絡先もaiboのオーナーIDが必要だとか何なにが必要だとか言っていて、どうしてこんなことをしないといけないかと思った。

そう言葉はぼくたちが本当はみんなひとりひとり孤独であるという事を証明する為の装置に過ぎない。だからと言って諦めてはいないけれど、同時にその寂しさは人と人を惹き付けるかもしれない。何でも困った事があったらいつでも連絡ください。

私は愛し合っているラブストーリーを扱う映画に出演している

火曜日, 2 月 23rd, 2010

ヘルシンキに来て本当に良かったと今思ってる。作品のプロジェクトはすごくたくさんの問題を抱えていたので、大幅な変更が必要になってネオンサインの制作設置は叶わなくて、相談の結果バットマンみたいな大きなライトプロジェクターを使ったメッセージを銀行に投射することになった。照明技師のジェニーさんの協力を得てプロジェクトはなんとか動き出して良かった。ヘルシンキ市内にある3つの都市銀行のビルを夜中に占拠します。そして、いま僕にはなんだかいいたいことがたくさんあって、エンディングということを考えていてどうも映画とか演劇とかタイムベースの作品のエンディングというそのもの、どんな結果であれ結論であれどんな手法によって終わるのであっても終わるということそのものがすごい気に食わないというか、すごいずるいなあと思っている。悪意は全くないのだけど、だって人生の終わりは死ぬことでしょ?ってぼくのエンディングは永遠に僕には感知できないし、そんなのずるいよ、と思うというか。勝手に終わって逃げるのかと思ってしまう。いいなあ終われることはと思ったし、終われるってのはハッピーエンドといえるんだなあと思うし、実際に本当にハッピーなのかというとそうじゃなくてまだ戦争とか殺し合いとかなんとかかんとかへんてこりんというのがたくさんあって、当たり前だけどそういうのを抱えて生きて行くというか、エンディングに向かう(エンディングするじゃなくて)というのが人生だなあと思うことがあって、ぼくがやろうとしている芸術というのはそうなくてはならないんじゃいないかと思った。というのは終わってしまうのは娯楽でしかないなあと思うから。

それは、プライベートとパブリックの問題ともおおいに関わってくる問題系であろうとぼくは思う。だって、ぼくのプライベートの時間は死ぬまで逃れるられることは無いけれど、ある一定の想定しえるパブリックというのは役目を終了することが(一次的だけど)終了することが可能であるなと思うし、そういう考えかが今ぼくにとってはとても有益なんじゃないかと思う。今ぼくのなかでは面白いことが起きていて、人間と人生に関する考えかたが少し変わりつつあるなあと思う。それはいつだって、昔からぼくはどこにいたって、何をしていても、何を考えようとも、世界のありとあらゆる出来事と関係がないということを言い切ることはできない、という大前提を考えていたのだけど、まだ甘かったなあと思う。やっぱりそうだ。特に今思っているのは、映画とか演劇とか美術とか、その物自体に実社会とか別の次元を構成しえる架空の事象と現実社会がいかに関わって、それに触れる私たちはいかにそれを信じて生きていくのかというこだと思う。詩もそうだ。愛し合っているラブストーリーを扱う映画に出演している、役者はどんな時間を生きているんだろうか。役者と現実の個人としての人生をどう生き抜くのか、はたしてまたしても「愛している」という現実に告白に使用しうる言葉さえも台詞でしか存在しえないのか、そんな二重の次元がメビウスの環のように、自分の立っている時間や空間によって変化する奇妙な世界で生きているのかもしれないし、それを混同しないほうは異常だとも思う。映画に励まされたとか勇気ずけられたというのも正に、混同している証拠であるし。そのあたり面白いことが起こりそうだ。

人生はもっと罪深いかも

日曜日, 2 月 21st, 2010

案外いま苦しんでいて、というのはアイデアを次から次へと出さないといけない状態になっていて、しかもそれぞれにかなりのクオリティーを要求されていて、いやや期待されていると思えばこんなに嬉しいこともないのだけど、やや生活が乱れ気味で、徹夜してみたり10時間くらい寝てみたり、深夜のヘルシンキを彷徨ったりと大忙しだった気がする。

ここに来て、映画を見たいなあと思い始めたのでヘルシンキの映画館に行くのもいいけれどあまり興味があるのがやっていなくて、何故か崖の上のポニョともののけ姫がやっているのだけど、それはまあいいので、何か無いかなと思っていてもなかったので、中国のサイトで日本の映画全編見れるところがあってそこで見る事にした。で、なんでなのかきっかけは忘れたけれど、市川実日子さんがとんでもなく好きになってしまって、わあなんでこんなに可愛いのかしらと思いながら市川さんが出演してる「Blue」「Lover’s kiss」という映画を見た。偶然なのかなんのかよくわからないのだけど、両方ともの映画で市川さんは同性愛をしていて、なんだか奇妙だなと思ってしまった。もうひとつ「とらばいゆ」という女流棋士の話の映画もあったのだけど、それはネットには無かった。Lovers kissはいいとして、blueは結構面白かったなあと思った。やっぱり映画は罪深いなあと思うし、だって市川さんと個人的に面識もなにも無いのだから、映画の中での彼女がぼくにとっては彼女自身であって…なんども同じこと書いてる気がするな。でもいいんだ。人生はもっと罪深いかも。

で、まあそんなことがあったりしていて、関係ないのだけど、今ぼくのスタジオのあるkaapeliという施設でFinish Metal Expoというイベントがやっていて、メタルッコ(ヘビメタとか好きな子)が集まっていて面白い!おじさんから中学生くらいの女子まですごい沢山のひと…昨日はなんか事件があって警察が来てた。警官の足下に若者が倒れてた…もちろん雪のなかに埋もれてた!まあいろんな輩がいるんだと思う、むかつく奴からなんでこんなに優しいのって思う子まで。

来週はもう2月の最終週になってしまうなあとやや冷や汗を書きつつ、なんとかヘルシンキのプロジェクトも動き出したから、気分は上々です。今日はかなり吹雪が酷くて顔が痛いぜ。ふい。

市川実日子を大好きになった

金曜日, 2 月 19th, 2010

向かいのスタジオのユリアンという女の子のプレゼンテーションが夕方からあって、それに合わせてワインなんか飲み始めたからいきなり酔っぱらってしまった。ユリアンはダンスの振り付けのディスカッションをしていたけれど、どうもぼくは府に落ちないので、2時間くらい見てから途中で抜けてUFFという古着屋さんへ言った。今日は全品2ユーロなので、狂ったようにみんな服を買いまくっている。12着買っても20ユーロなのである。まさに阿鼻叫喚の店内は服が乱れ放題で、どこの繊維工場に来たかしらと思うような状態で床にたくさん服が溢れんばかりであって面白かった。ぼくは女性もののブラウスのようなちょっと70年代風のシャツを一枚買った。なんとなくだけれど、違った環境に来ると違ったことがしたくなるので、今日は友人に少しだけ手紙を書いてみることにして洒落てポストカードなんか買ってみたりして、郵便局まで出しに行くのだけれど、なんとまあ奇麗な夕日なのかしらとふと思うような情景で雪に反射した夕日がまたなんとも見たこともない感じで面白かった。

帰ってきてらは、HIAPのオフィスからトーマスがちょっとちょっとーって呼んでくるので、行ってみると。今度の3月にスオメリンナ島であるパフォーマンスイベントに出ないかと言われ、ああいいね!ってなるんだけど、やや久しぶりなのでどうかなあって微妙な感じもしてるなあと思ったけれど、やってみようと言う事で快諾してみた。トーマス君とヴィレム君というのがオーガナイザーで両方共に会ったことがあるし、信頼が置ける人柄なので大丈夫かなと思った。とまあいろいろあって、さあ自分のプロジェクトはというとこれまた難航していて、結局のところ地下鉄カンピ駅からの許可はもらうことができなくて、どうしようもないので、別のプロジェクトも考えないといけないかもよ!とキュレーターのマリタ君に言われたいたけれど、マリタ君もマリタ君でぼくのプロジェクトの責任の一端を担っているので気がきではなくて、考え抜いた挙げ句、いいアイデアがある!ということで、聞いてみるとヘルシンキの地元のアーティストで夜中に大型のライトを使うアーティストがいるから、彼らとコラボレーションして旧銀行ビルに深夜投影するプロジェクトにしたらということになって、そうかそれじゃあ許可はいらないねえ!という感じで何とか突破口が見えてきたような、やや時間がなくなってしまったぞ!という感じでヤンキー風に暴れたい気分を押さえて、承諾したのだった。

で、ふうと一息ついたら、映画でも見たくなってきて。なんとなく、blueという映画を見た。そこで前から好きだった市川実日子が可愛すぎて、映画の中のことなのに現実みたいに、ああ可哀想だとか可愛いね!とか思ったりして一喜一憂しながら見ていて。映画の中の役なのに、市川実日子というのはなんて可愛い子んだろうと思い始めて、ぼくのタイプど真ん中だなあとか思い始めて、最終的にはMacの壁紙とかにも採用したりして、かなり熱が上がっている。目の中に入れても痛くないといいたいというのはこの事かと思うような体験をして嬉しかった。やや不機嫌ぽい彼女の顔と立ち振る舞い(映画の中の役柄と本人の個人的な性格などをごちゃ混ぜにして考えている)を見ていると、なんて素敵な人なんだと思った。映画は罪深いなあとも思った。とまあ何でこんなことをしているのかよくわからない状態になってきたのだけど、それはそれで、面白くていい。

17日目

木曜日, 2 月 18th, 2010

昨日、今日はいくつものギャラリーでオープニングがあって、ひょいひょい幾つかのギャラリーをまわったりして時間が過ぎた。ぼくの滞在しているHIAPでもふたつのオープニングがあって、ひとつはソジュン君というソウルから来たアーティストで、ヤノベケンジ風にモンスターガジェットのドローイングとか大きな彫刻を作っているらしい。最初話した時に、アムレットの意味が全く分からなくてなんども、しつこく聞いてようやく分かった。昨日韓国の彼女とskypeで喧嘩したらしい。

もうひとつのオープニングはヘルシンキのアーティストでアメリカの昔の建築様式を題材にいろいろなケーススタディーを展開している作家なんだけれど、なぜかオープニングでコーラを霧噴射(?)させるインスタレーションを作ってた。でも1時間に30秒しか噴射しないとか言ってるうちにふらふらしてて、見逃した。ってもっとやって欲しいなと思った。同じくHIAPにレジデンスにきてる奥さんが日本人でオーストラリアの作家が江頭2:50分のファンだとか言って面白かった。そのうちにぼくはすごく酔っぱらってしまった、気づいたら結構もう夜になっていた。

スーパーで買ったシャンプーが可愛いすぎると思う。北欧オシャレって言われても納得だなあと思ってしまった。しかもこれが1ユーロくらいで安い。物価は高いけれど、なんとなくどこに行けば安いものが手に入るのか分かるようになってきて面白い。UFFという日本で言うところの全国展開してる古着屋(?)というか救世軍バザーと言ったほうがいいかもしれない、そこのバザーが結構過激で、明日は全品3ユーロとか明後日は全品2ユーロとか明々後日は全品1ユーロっていうセールをやっていて。思わずイタリア製の謎のセーターとシャツとマフラーと上履き(?)を買っても8ユーロだった。

実はネオンを設置するための許可は結局得られずに、ヘルシンキのでプロジェクトが難航していてかなり軌道変更をしているのだけど、いろいろキュレータとの打ち合わせの結果、ヘルシンキのアーティストとのコラボレーションで旧銀行のおんぼろビルに深夜ライトで書いた文字を投射する予定になった。オリジナルコンセプトを保ちつつなんとかプラン変更できそう。ふう。

街が狭いので町中でよく知り合いにあう。

問題の作り方

金曜日, 2 月 12th, 2010

結局はみんな良くわかっているんだと思う。PCにかじりついてmixiやfacebookやったりして、ああよかったねえ。なんて言っているだけで終わっては行けないってことが。美術館に行って作品を見て楽しかったね、とか演劇を見て感動したとかじゃ。問題の最終目的地はいつだって、現実に向かっていかないとどうしようもないってことが。現実は不公平な理由で戦争や争いがあったり、死んでいくひとがいたり、家がないのにどうしようもなくて毎日お風呂に入れないで何もできないで寂しがっているひとがいて、それが問題であるってことが皆、明白な問題だってことが分かっているとぼくは思う。だからぼくがやっている活動だってこれをお米やパンに変えてお腹をいっぱいにはできないけれど、どうににかその為のエネルギ−に変えることができるはずだ。現実にどう切り込んでいけるかってことが一番大切なのに、どうも一部のみんなで楽しくやりましたということが良く起こっているようでぼくは悲しいというか寂しいというかなんとなくつまらないというか、そんな感じのことを良く思っていることもある。だから美術館とかギャラリーのオープニングとかでワインとか美味しいものをたらふく食べてああ満足だわ!って思っているのはそれはそれで楽しいけれど、どこか心の底でこれでいいのかなあって思っていたりもしているのだけど、それがうまいことバランス取るってことが一番のアーティストの仕事なのかもしれない、だから両方やればいいってことなんだけど、結構難しい。ぼくの作品のことを良くも悪くも政治的だとか言うひといるのだけど、それは当たり前のことで生きるってことは、現実の社会の問題とどうやって折り合いを付けていきていくかってことの闘いのことなんだから、トートロジーである。

最終的には美術はダミーであって嘘であるんだけど、その嘘をいかに利用してみんなの目前に迫っている現実の問題に関わって変えていけるかどうかってことなんだと思う。だけど、こうやって海外へ何度かやってきていると常々思うのだけど、やっぱり日本は自力で市民革命を経験していないというか独立を勝ち取っていないといか、それは常に天から授けられたものというか、それは最初から与えられたごとくに存在しているように感じられて、どこの国に行っても隣国との争いやアイデンティティーが問題となるのだけど、日本は最初からしかも日本人みなで共有されていることが前提として存在してしまっていることあるんじゃないかなあと良く思う。ぼくはそれの裂け目の中でどうにかこうにか、共有しきれない部分をもって作品を作っているのかもしれないなあと思う。

面白い人生になってきた。

地獄のように怖く、死のように厳しく、恋のように甘くなければならない!

火曜日, 2 月 9th, 2010

昨日は凍った海の上を歩いて小島まで行った。夏はもちろん、ボートで行かないといけないのだけど、真冬はこうやって海が凍るのでみんな歩いていける。さて、スタジオではマインドマップドローイングの準備とフィンランド語の翻訳をしながら書き込んだりしている。これも作品となればいいかなとは思っているのだけど、まだまだ作品化は遠いかなあと。いつ完成するのかしらって。で、まだネオンサインの許可もおりてないのに展覧会の日時だけ決まってしまった。3/31-4/18にHIAPギャラリーで個展なんだけど、はてまたどうなることやら?誰に話をしても、ああ大変なプロジェクトやってるねえ!グットラック!って言われるてるけれど、がんばんなきゃなあ。展覧会後の作品輸送費なんかも調べないと。結構いい値段しそう…まあプロジェクトの予算に組み込んでるからある程度出してくれるはずだけどね。最初の滑り出しとしてはいかがなものだろうか。

でもでも、実はこうしているうちにも東京の個展のアイデアを出していかないといけないっていう裏の事情もあって、あんありのんびりもしていられないんだ…みんなスキーに行こうよ〜!とかエストニアに遊びにいこうよ〜!とか行ってるけれど…ね!いいもん!でもフィンランドの子はみんな可愛いなあ。

芸術とは地獄のように怖く、死のように厳しく、恋のように甘くなければならない!ってトルコの諺をもじりました。そうそう、今回フィンランドに招待してくれたHIAPですが、500個のアプリケーションからぼくを選んでくれたそうです。とんでもないハイコンペティションだったんですね…

メトロKammpi駅の魔術

土曜日, 2 月 6th, 2010

こんばんは。あっという間に平日5日間が終わってしまって、もう週末の土曜日です。現実的にはまだ5日目なのだけど、ああもう5日も消化してしまったんだなと思う。ネオンサインのプロジェクトは問題なく動いているというよりは、思った通り問題だらけで何もかもがみんなにとっても挑戦であるから、すごい時間がかかってしまう。今回はオリジナルアイデアでは、銀行の屋上へ設置する案を提出していたのだが、キュレーターが銀行へ交渉した末に全部断られてしまった。これはどうにもならないので、やや変更プランを考えた末に、中央地下鉄のKammpi駅のエントランス上部に設置しようと話がまとまった。駅は公共機関なのでヘルシンキ市の管轄で、銀行よりはやや話がしやすいし、いま滞在しているHIAPもヘルシンキ市の芸術カウンシルと繋がっているので、市経由で話をすれば可能性が高まるという計算だ。そして、この場所は、駅周辺に国会議事堂や現代美術館があるエリアなので、それに向けてのメッセージになり得るということだ。

その他にも予備案をいくつかヘルシンキ大学の屋上に設置するとかいろいろ話があったけれど、いまいちなので、それはまだ考えずにおいたほうが良いかなと思っている。今月一杯で解決しないと3月になっても何もできなかったら困るので、よろしくたのもう。

ヘルシンキ現地の人に話をしてもそんな話始めて聞いたよ!ってびっくりされるから。実現したら面白いだろうなあって期待してる。魔法だ。設置できたら、この駅前で深夜のレセプションパーティーします。

ヘルシンキに到着しました

水曜日, 2 月 3rd, 2010

とりあえずヘルシンキのHIAPのスタジオまで到着しました。すごくひろい研究所みたいなスタジオでなんの不自由もなく過ごせそう!トラムと電車と地下鉄の定期券を購入するのに、一ヶ月70ユーロもしたので、買うかどうか迷ったけれど、確実に定期のほうが安いと思ったので購入した。あとでお金がなくなるのはいやだもんね。それと携帯電話を借りてプリペイドで払う事になったけれど、さすがノキアの母国なのか、コンビニで番号を伝えてお金を払うだけで、何の紙も無しに携帯が使えるようになった。すごーいテクノロジーだなあと思った。というか日本でも当たり前なのかもしれないけれど。そんなこんなで1日が過ぎ去ってしまった。小さなことで時間がっかってしまうので、やれやれだなあと思うけれど、とにかく少しづづここに2ヶ月滞在する準備が整って来た感じ。明日はキュレーターとプロジェクトミーティングがあって、あれこれどうするのか決めないといけないので、ややもしていられない。フィンランド人は挨拶で、モイモイ!って言っているのでぼくも真似してモイモイ!っていうとそのあと、あたりまえにフィンランド語でベラベラ喋ってくる。それが面白くて。みんなの顔がムーミンみたいに見える。