Archive for 11 月, 2010

ブカレスト3日目

火曜日, 11 月 30th, 2010

モスクワ経由でブカレスト到着。アンドレイ君が空港に迎えに来てくれる、すでに深夜12時過ぎ。自動車で市内へ行き、途中のスーパーで買い物。前日との気温差で光化学スモッグがすごく、霧の中にいるような感じでもある。これから21日間のプロジェクトを行うのだ。明日、水曜日はルーマニアにおける独立記念日として祝日となり、市内でパレードがあるそうだが、その日はルーマニア共産党(ルーマニア社会主義連合より2010年改名)の代表Constsntin Rotaru氏とのミーティングをセッティングした。同日の別団体のpolitical activistとの面談も用意されている。まずは、好調な出だしではないだろうかとも思うが、状況が逐一変化していくことに対応しきれるかどうか課題でもある。今回は、ほぼ経済的なサポート無しでの実施となるが、今後のプロジェクトを考えながら、どこまでできるか判断しないと行けない。ぼくらが抱えている問題がどこまで国の切実さと結びつくことができるのかという些細な賭け事のような戯れと、付き合ってもらえるだろうか。その事は不安でもあるし、興味深い研究でもあるかもしれない。ぼくはすでに28歳になってしまった。社会主義時代に建てられた集合住宅を眺めながら、色とりどりの灯りを灯す風景を眺めながら、ああ奇麗だなと思うその裏側の事情というものは、どのように見ることができるのだろう。東京のハイパーメトロポリタンで生き抜く大変さとここで生き抜く大変さはおそらく評価方法が全く違う。その違いの善し悪しでないのは、分かっているがその次だ。いくか。

今回のキュレーターのAndrei君は22歳。ダンディーである。

魔法使い

月曜日, 11 月 1st, 2010

これから僕たちはどうなってしまうのかしら。なんて思うことがきっと一番ドキドキすることだったりするのだけれど、それやこれやなんかのクダラナイことできっと毎日が忙しくなっていたり、怒られていたり、落ち込んだりしていて、どれだけそれがクダラナイのだろうかと思うとなんだか嬉しい気分にもなったりしてニヤニヤしていると幸せ者だなあと思うことがあるのだれど、ずぶ濡れになって帰宅したとしてもそうだ明日はなんて明日のクダラナイ予定なんかを書き込んだりするというのは、至極幸せで何とも言えないというか、何とも言えないと言うしかない。どうでもいいことで時間が溢れかえっていて、そのどうでもいいことと、どうでもいいことでないことの境目なんかは、誰も分からないということでそれぞれの気分や状況や文脈とか地位とか時間とか日時とか歴史とか立場とかで決まってくる。それも死んでしまったら何もかもすべてが終わりだ。というふうに考えてみると、生きていることだけが唯一のくだらなく無いことで、それ以外はクダラナイのかもしれないと思うことにした。国境なき医師団のポスターのコピーで「国境が生死の境目であってはならない」ということを書いていたのだけれども、ああ確かにそうだ、そうあってはいけないのだ、但しぼくらはたくさんの境目を背負って生きているのだという証を突き出されていかのようで、それはそれはなんとも複雑な気分であって、境目がない世界なんてどこにあろうかということは簡単なことかもしれないが、境目のことをぼくらはもっと生死の問題として応えるようにしないといけないのかもしれない。ぼくは何を言っているのか良くわからない。タコ。

つまりだ、ドキドキしてしまって「これからどうなるのかしら、ぼくら」という状況下においてぼくたちは至極幸せであって、それ以外に生きていることの証はないのかもしれない。死ぬ5秒前までドギマギして厭だわなんて言ってみたいものだ。ぼくらは生きていることを困るということで、その証を感じ取っているのかもしれないということか。なんちゃって。いや、そうなんだ、どうしようも無い毎日なんだと叫び殺しても明日は来るのであって、そこから逃走する術も、死ぬ訳もいかないので、何とか別の言葉に置き換えることでひとは生き延びる術を獲得し、別の言葉に置き換えることによってあたかも別のことなんだという妄想の次元まで押し進めることによって、ようやく明日が来る。そうなのね、すべての終わりはぼくが決めるのよ。死ぬ事で。分かったフリするなよ丹羽良徳。タコ。