Archive for 5 月, 2011

さかなくん

月曜日, 5 月 30th, 2011

進歩するって何のことなんだろうかと思えば、くちゃくちゃになった頭がいっぱいで何も考えれなくて思考停止になってしまうかもしれない。だいたいが人生は死に向かって生きていくだけのことを整理をつけてポジティブに行こうなんていうくらいだから、どうしようもないと思うけれど、ぼくはそれが虚しいとも思わない。ただそうなんだと思うだけで、お腹が空くと同じくらい当たり前だと思う。だけれど、人生にはいろんな個人的な転機というのがあって、これはどうしようもない出来事なんだと勝手に思い込んで興奮したりする、実はその思い込みが出来るどうかが重要で、何もクールに生きる必要はない。本当のところはいつだって興奮していきてればいい。珈琲を淹れて、飛んで跳ねて興奮したっていいし、狂人だと思われてもそれはそれで幸せだ。自分の幸せと他人の幸せは違うし、それは共有する必要性がいつもあるとは限らないのだ。それを見つけられるかどうかのことで、全然違う。鉛筆が転がっただけで、笑えてくるのがいい人生かもしれない。今年の夏以降はどれだけ出来るか分からないけれど、予定が詰まっていて本当にそれはそれで嬉しいし、青森に行ったり、秋田に行ったり、オランダに行ったり、韓国に行ったり、ロシアに行ったり、ポーランドに行ったするかもしれない。どこかのポイントで会いたい人には会いたいと言ってみようかなと思っている。その区切りを自分で納得するように設定するのが自分自身の動きとして楽しみだ。例えば、来月死ぬと決定したら、どの順序でどの人に会いに行くんだろうな。そんなことを考えていると夜が明けるのも待ち遠しくて溜まらない。

牢屋2

火曜日, 5 月 17th, 2011

ホリエモンはお金で買えないものは無いと言ったみたいだが、そこのは何かしらの訳があるんだと直感で思った。ぼくは愛はお金で買えないとか言うつもりはないし、それはそれで正論かもしれないが、それを言うのならば、この先の議論には進めないので、辞めておくことにする。問題はそうではなくて、なぜホリエモンがそういわないといけなかったのかということであって、そこではない。このことについてはぼくが2010年に書いた文句の中に何かしらの関連があると思う。

私たちの社会がいかにどのように私たちの生活や価値観を支え合っているのかという設問に対して、
さらにその関係は脆くも奇跡的に互いに浸食しあっている(か)のような、あばよくば邪魔者は
殺してしまいたいと思えるような現代のあらゆるマスに対する脅威とあらゆる個人が孤独である
という最終的な結論とその幻想共同体に関する一切の回答 (丹羽良徳, 2010)

お金で買えないものはない, 堀江貴文
http://www.kaomojinavi.net/horiemon/kane/05_kaenaimononai.htm

お金の使用というものは、消費というのは対価を要求するものだという大前提であって、その大前提はほぼすべての場合、寄付などを除いては達成される。寄付も精神的には達成される可能性がある。その原理原則にたつならば、お金の期待値というのは無限であって、ありとあらゆるものを要求することができるということなのかもしれない。ただぼくがここで気付いたのは、所有を巡る問題である。消費はさらには所有を要求することでもあって、所有を拒否することは難しい。単純に言えば買ったものを捨てるということはできるが、その処理まで責任を取らされるのだ。というのがこの社会の原則であって、その不可分な関係性はなにかホリエモンの問題の核を揺るがせないのかと思うのがぼくの考えで、この未曾有の大震災以後、社会的機能への還元価値がありとあらゆる価値基準になるそうなムードに対する反抗行為とも思えるような態度にもなりかねないような。なんてね。