Archive for 9 月, 2011

孤独

火曜日, 9 月 27th, 2011

理論的なテロリズムは有効かもしれないが、実際は実現できないその不可能性にぼくらは革命の欲望を見いだしているのかもしれないが、これはきっとかなり恵まれた状況のなかでしか発言できないような腐った文句かもしれない。常に考えないといけないことは、究極のことであって、それを蔑ろにすることはできない。

[2011] デモ行進を逆走する

月曜日, 9 月 26th, 2011

[2011] 自分の所有物を街で購入する (ver.3)

日曜日, 9 月 25th, 2011

刺身と海

日曜日, 9 月 25th, 2011

韓国の釜山滞在の3回目。今回は作品の設置とオープニングの参加が主な用事であって、それいがいは特に考えてないからどうしようかしらなんて、思ったりもする。設置と言っても案外、業者任せなのでぼくは適度にチェックする程度。秋の早い夜の到来になんとなく孤独を感じながらも、それでもいいんじゃないのかなあなんて、日本語でぼんやり考えることしかできないのは、どうしてだろうかと思うけれど、そもそも考えるなんて何のことなのか理解できないなあと思うことにして、適当に切り上げる。ホテルの対岸がいつも奇麗に光っていて、いいなあなんて思うのは、他人の庭は奇麗に見えるということなんだろうか、それとも辿り着けない、ここではないどこかを求めるのが人間なのだろうか。きっとそうに違いないとか思っているのはぼくだけではないはずで、いまぼくは釜山でこうやってぼんやり、とりとめのないメモ書きみたいなものをアップロードする瞬間にも殺戮や爆撃や戦争やテロが起こっているに違いない。けれども、そのような事にどこまでアプローチできるのは不明だけども、知っておくことだけでも違うかもしれない。日本に帰ったらどうしようかなと思っているけれど、韓国の甘い珈琲でも飲んで考えるふりでもしようかと思った。

[2011] 自分の所有物を街で購入する (ver.2)

土曜日, 9 月 24th, 2011

[2011] 自分の所有物を街で購入する (ver.1)

金曜日, 9 月 23rd, 2011

[2011] 展示風景 - 自分の所有物を街で購入する

木曜日, 9 月 22nd, 2011

ゴミ屋敷

水曜日, 9 月 7th, 2011

釜山3日目。撮影も無事に終わり、あとは看板屋さんとの調整と印刷データのみだ。やるだけのことはやったと思うから、あとは現場仕事である。東京に戻ったらすぐに青森に行かないといけない。そのあとはモスクワも待っていると言うか、おそらくモスクワに待っていてもらっているというのが正確な言い方なのかもしれない。でも毎日釜山で焼き肉を食べたりしているけれど、安いからなんとかなってしまう。近いようであんまり近くない韓国にいきなり来て何やってるんだろうと思う瞬間もあって、そんなこんなで30歳に近づいてるなあと思っているとこんな人生もいいかなと思う。毎日変えると髭もじゃの自分が映る鏡を見てなんとなく安心する。

取り返しのつかないことをしました

金曜日, 9 月 2nd, 2011

と良く人は言うのだけど、だいたいが日々の生活において、取り返しのつくことなんて殆どないような気がする。ご飯を食べてしまって、取り返そうとして吐き出しても無駄であるし、そんなのは当たり前に取り返しがつかない筈であるのに、なぜかそこではこれが人類初めての出来事のように言うのだ。そんなの当たり前だろうに、ぼくはいつも取り返しのつかない人生を送っているわけだし、取り返しの出来る人生というのは何ぞや。