Archive for 4 月, 2012

床屋のパラドックス

月曜日, 4 月 23rd, 2012

それはバレてはいけないことなんだ。というと、何だか物語の始まり予感がしてしまうのだけど、そうじゃない。そうではなくて、ある野心的な目的のために立てられた戦略的な行動においては、あるときは非合法手段や水面下の計画だってありうるということだ。しからば、日々の生活はそのように計画されるべきではないかと思う。いつの時代だってそうだ、ぼくらが満足に生きていける保障なんて誰もしないし、する筈もないし、して欲しいとは本当は誰も思っていないくせに、幸せにだとか、毎日静かに暮らすとか言って、なんだか良く分からない雑誌だとかが出版されたりするので、毎日いらいらする。すくなくとも闘争していてくれれば、まだ落ち着くというものだ、もっとぼくを焦られてくれよ、思うがそれもとても日和見的な考え方でしかないので、最終的にはスターリニストだと批判されても仕方がない。そういう意味では、穴も空いていて洗濯もしてないしズボンばっかり履いているけど、まあそれでも諦めるには、まだ早いぞと言われるような気分になったりもする。救いの方法は禁欲しかない。

[2007 - 2012] 参考資料

水曜日, 4 月 11th, 2012

アーティスト・トーク「トランスナショナルな個人映像記述術」(2012)
http://www.nadiff.com/fair_event/window19_niwa_report1.html

AC2 - No.13 インタビュー (2012) 国際芸術センター青森発行
p65-68

W → O → S (2012) ロシア語
http://vimeo.com/38444226

the Village インタビィー (2012) ロシア語
http://www.the-village.ru/village/people/visitors/112347-gosti-stolitsy-hudozhnik-yosinori-niva

「ルーマニアで社会主義者を胴上げする」プロジェクト報告会 (2010)
http://2010.artsfield.jp/blog/2011/03/post-1.html

art drops インタビュー (2007)

http://artdrops.exblog.jp/5634434

[2012] モスクワのアパートメントでウラジーミル・レーニンを捜す

水曜日, 4 月 11th, 2012

5年後の混乱

火曜日, 4 月 10th, 2012

歴史の土台の上で生きるとは簡単に言えることなのだけど、実際どうするのか。その答えはぼくはまだ分かっていない。橋下徹さんの言うところによれば、政治の本丸は具体的に行動に移すことだと言う、いやそうなのだ。政治はそうなんだ、実際のことを決める。決めなきゃいけない。そう間違ったことに後々なろうが、なかろうが決めなきゃいけない、だから問題になって暴動がおきたりする。確かにそれはロマンのあることだろう。だだそれと同じ方法論で語ろうとするのにも無理がある。僕らはそれじゃ無理だと言う、思い込みも持っていないといけない。芸術は元来無駄であったという余分な余剰な空間からの人間性の回復ではないのか?という基本原則を忘れてはいけないだろう。政治だけで国がきちんと動かせると思ったら、大間違いなのだとうことだ、だって国民全員が政治家になるなんてないだろう。ぼくらの精神の根幹を成すイデオロギーはどこからやってきているのだろうか、冷戦以降イデオロギーの崩壊と言われて久しいが、実際のとのころはどうだろうか、そんな疑問で一杯だ。敗戦後の日本はどのように、このように成長してきたのか。実際ところ歴史を横断して生きていきているわけではないので、実感として確かめようはないのだが、きっと残されているとすれば、消え行く記憶をどこかでたぐり寄せて、つなぎ止めようとすることではないか。そういう意味では、ドキュメンタリー映画というものに、価値をもっと見いだしていいのではないかとも思う。かなり滅茶苦茶に書いている文章なので、許して。推敲はしていない。芸術の専門用語で「サイトスペシフィックアート」と呼ばれるものがあるが、それを応用すれば「タイムスペシフィックアート」というものが必然的に重要になってくるのではいかという確信。決められた時間の中でしか生きられないのが人類であるならば、そこで生み出される芸術というものも、当然「タイムスペシフィック」として認識されていってもいいのではないかと。で、そこで何が変わってくるのかというと、真理云々の話になってきて。そんなものは、もう重要じゃないかもしれないということ。そうすると、どうなのか、真理や事実以外に、じゃあどうするか、それこれをどう処理するかという行動に集約されてくるんじゃないかということ。それは芸術の得意分野だ。ふらふらしてる場合じゃないけどね。

ゴミ屋敷2

土曜日, 4 月 7th, 2012

「もう、○○は二度とやらない」と何と考えただろうか、今日だって内容は明かさないけれど、そういうことを考えていた。合理的で世渡り上手な人はそんなことしないで、選択肢をたくさん持っていたほうが可能性だって広がるに決まっているし、生命を賭けた闘いならばそんなこと言っていないで、目的は手段を正当化するとも言うのかもしれない。それにしても、ぼくはそう言った行き方ができないで、倫理と精神をごちゃまでにして、まごついている凡庸な人間なのだ。もう二度と酒は飲まないと言っていたのも、然り。きっともっと酒が飲めれば、出会う人も増えるだろうし、話だって進むのかもしれないし、考えつかないことも突然結び付くのかもしれない。但し、ぼくは酒でなくて、珈琲なのだ。そこにあるのは選択肢や可能性なんかではなくて、単なる決定なのであって、自分自身が決めた規範なのだ。それに自分自身が従属するなんていう考えは、これっぽっちもないが。突拍子もないが、だから芸術家をやっている。そう昔の僕が決めたからだ、自分が言ったことに自分が従わないのは、みすぼらしいことだ。やらない事を次々に決定していくことは、やる事をどんどん決めることにもなる。精神貧弱な自分に変わって意志決定をさせるためにも、それはやらねばならぬ。続きはWEBでなどではない、続きも自分なのだ。

[2012] The Moscow Times 3月29日

火曜日, 4 月 3rd, 2012

[2012] 毎日新聞 2012年3月24日夕刊社会面

火曜日, 4 月 3rd, 2012

[2012] art scapeレビュー|RYUGU IS OVER

火曜日, 4 月 3rd, 2012

[2012] around art 現代美術ニュース (Russia)

火曜日, 4 月 3rd, 2012

[2012] W→O→S (Russia)

火曜日, 4 月 3rd, 2012

[2012] Rambler Media (Russia)

火曜日, 4 月 3rd, 2012

[2012] WEEKEND (Russia)

火曜日, 4 月 3rd, 2012

[2012] The Village(Russia)

火曜日, 4 月 3rd, 2012