リベラリスト

12 月 22nd, 2013

友人に内田樹の書籍を2冊を送ってもらって、なんとなく齧り読んでいると、人間的な欲望とは「他者の欲望」そのものに照準しているとのことが書いてあった。なんとも分かり易い言葉か、言葉のマジックだなとも言いたくなるけれども、反論は無いし、それを僕は実感することも可能だと思っている。ああ、あの人いいなと思っている人間の本質が、あの人の欲望をまるごと、自分に向けさせることで独占することが最終目的だと考えるとシャープに合点がいく。あと、今年も10日で終わるというのは、そんな言葉のマジックに浸ってしまいたいと思うようなエモーショナルな自分への合意が必要だったりもする。その他、「女は何を欲望するか」という書籍の導入では、フェミズムという思想言論がその先鋭性と全能感ゆえに、自己破綻をきたした昨今の事情を細かく明らかにしようと書いてあったが、導入の数ページだけの論理的思考の自由度の高さをリベラルさには驚いた。自分に引き寄せて考えるならば、冷戦以降のマルクス主義(マルクス・レーニン主義)という崇高で革命的な政治思想が、時代のなかでいかに破綻を迎えてしまったのかという歴史が示すような現実的なここ数巡年の道筋とも全く同じであって、非常に興味を持った。実際のところ、ひとが充分に物事を判断するためには、思想が必要なのかもしれないし、それが体系だった崇高な思想でないにせよ、世界観とイデオロギ−に準ずる基準を持たずに人が人として発言することは、ほぼ不可能ではなかと思う。それは何も思想哲学を確立することを要求するものではなく、ぼくらが生まれ育つと同時に、何らかの価値観の基に人は成長するということしか言えていない。それが全くない言わば純粋無垢の状態とというのは、言葉のマジックに過ぎないし、それを熱望することはそもそも可笑しい現象である。ぼくらは何らかの価値観と思想を選択する自由とその現実的な整合性のなかで、日々揺れ動けばいいと思う。

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