1ヶ月が過ぎたところ
3 月 1st, 2010不思議なことに、一人では約束もできないし、自分を許すこともできなから、他人というものが必要になると書いてある本を読んだ。キリスト教的な原罪の感覚をもって「悔い改めます」というのはどうもぼくにはしっくり来ないのだけど、なんだか分かるなあと思った。ああそうか、関係の中にしかそういうものの存在は認められないんだなと思った。というかぼくが考えるには、あらゆるものの同意というものはそういった他者の関係のなかでしかリアリティーがないと思っているから、いまさらびっくりもしなかった。こうやって旅をしていると、頭のなかを揺さぶられるような感覚になることも時々あって、時々自分が何ものかが分からなくなるというか、最初から分からないくせに、分かったつもりでいた感覚が抜けて、余計わけがわからなくなる。それは清々しこともあるのだけど、たいていは心地の悪いこともある。実はもうヘルシンキに滞在して1ヶ月になる、いままでにない貴重な経験をしているような気がとてもしている。というはこんなにじっくり作品のプロジェクトで大変なことも滅多になかったし、それにここに一人こんなに豪華に時間を使えることもなかったから、やや肩すかしを食らうこともあるのだけど、たいていは面白い経験として吸収されていく。かなり遅くなってしまったのだけど、いよいよ来週から具体的にプロジェクトの進行が進み出す。いや、実はこれは予定通りぎりぎりのラインで考えていたことだから、まだ焦ってはない。たぶんこの山場が越えられれば、あとは一気に動くだけだからたぶん大丈夫なんて考えながら、近所の安っぽいピザを食らった。スウェーデンから友人のアーティストが偶然、同じ時期に同じレジデンスに来るということが分かって、おお久しぶり!なんてパーティーがあるもんだから毎晩、曜日に関係なくパーティーがあったからやや呑み過ぎたかもしれないと思った。本当は好きな人に「好きだ」と言って一瞬で一生が終わってしまえれば、それはそれでいいのかもしれないけれど、現代ではそうもいかないのかもしれないと思うと面白い時代であるなあと思わざるを得ない。