時速の話

10 月 3rd, 2010

どれだけ社会的なシステムが高度に発達しようとも文明が進もうとも、ぼくらは明らかに丸裸で生きているし、知らない間に知らない人のお世話になっているという事実だけは外せないような気がする。考えてみれば簡単なことで割り箸ひとつを折るだけでどれだけの労働を消費するだろう。コンビニを24時間営業する為にぼくたちは過酷な労働を強いられているのかもしれないと思うと当然気分が澱むし、先が無いような気分にもなる。資本主義の中では当たり前の様に思われるかもしれないが、より便利で豊かな暮らしで経済的に成長をしないといけないという要求は確実にぼくらを苦しめている。裏を返せば必要のない大量の労働を生み出してそれを消費しないといけないのだから。テロが起きて当たり前だと思う。ぼくらはきっと時速500キロで走る新幹線も必要ないし、深夜2時にコンビニが開いていなくても困らない。きっとそれらはぼくらの生の必要性から生まれているものではなくて、社会存続そのものに必要な条件を満たしているからであって、そのものの実用性から存在してはいないような気がする。だってぼくらは夜になれば眠くなるし、遠いところに移動するには時間がかかることくらい知っているし、またはそれはとても自然なことであるし、その法則に越えたところで、きっと自分たちが余計に眠くなって、余計に移動しなくてはいけなくなることくらいは分かってるはずだ。なんて思うとぼくらは眠いところを余計に眠くさせて、余計に早く遠くへ移動しながら生きているのかもしれない。ただし、その結末はくだらない疲労と時間の浪費なのかもしれない。でもそのおかげで人生が早く終わった気分になればそれが一番幸せなのかもしれないという錯覚させることが目的なのかもしれない。苦し紛れに何かわかったつもりになるなよと聞こえてくるような気もする。

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