5年後の混乱

4 月 10th, 2012

歴史の土台の上で生きるとは簡単に言えることなのだけど、実際どうするのか。その答えはぼくはまだ分かっていない。橋下徹さんの言うところによれば、政治の本丸は具体的に行動に移すことだと言う、いやそうなのだ。政治はそうなんだ、実際のことを決める。決めなきゃいけない。そう間違ったことに後々なろうが、なかろうが決めなきゃいけない、だから問題になって暴動がおきたりする。確かにそれはロマンのあることだろう。だだそれと同じ方法論で語ろうとするのにも無理がある。僕らはそれじゃ無理だと言う、思い込みも持っていないといけない。芸術は元来無駄であったという余分な余剰な空間からの人間性の回復ではないのか?という基本原則を忘れてはいけないだろう。政治だけで国がきちんと動かせると思ったら、大間違いなのだとうことだ、だって国民全員が政治家になるなんてないだろう。ぼくらの精神の根幹を成すイデオロギーはどこからやってきているのだろうか、冷戦以降イデオロギーの崩壊と言われて久しいが、実際のとのころはどうだろうか、そんな疑問で一杯だ。敗戦後の日本はどのように、このように成長してきたのか。実際ところ歴史を横断して生きていきているわけではないので、実感として確かめようはないのだが、きっと残されているとすれば、消え行く記憶をどこかでたぐり寄せて、つなぎ止めようとすることではないか。そういう意味では、ドキュメンタリー映画というものに、価値をもっと見いだしていいのではないかとも思う。かなり滅茶苦茶に書いている文章なので、許して。推敲はしていない。芸術の専門用語で「サイトスペシフィックアート」と呼ばれるものがあるが、それを応用すれば「タイムスペシフィックアート」というものが必然的に重要になってくるのではいかという確信。決められた時間の中でしか生きられないのが人類であるならば、そこで生み出される芸術というものも、当然「タイムスペシフィック」として認識されていってもいいのではないかと。で、そこで何が変わってくるのかというと、真理云々の話になってきて。そんなものは、もう重要じゃないかもしれないということ。そうすると、どうなのか、真理や事実以外に、じゃあどうするか、それこれをどう処理するかという行動に集約されてくるんじゃないかということ。それは芸術の得意分野だ。ふらふらしてる場合じゃないけどね。

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