神様の結婚

6 月 27th, 2012

いま、何を言っていいのか分からない。何を言うべきか、それが何も分からない。やることはいくらでもでもある。締切もある。いや、山程あるのかもしれない、そう思い込んでいたほうがいい。いや、未来は何もかもある決断に委ねられているに違いない、そうだ、何もかも未来は小さな決断に運命づけられている。反原発抗議も佳境を迎えるかもしれない今、その後のことを考えていてどうしようもない。ただただ何らかの予感だけを夢見ながら、あせくさしているのだ。君の未来はどこで何をしている誰かさんなのだ。youtubeで流れてくる余りにも洗礼された音楽がどうしようもなく醜く見える。30歳になってようやく小汚いシャツで街を歩いていてもいいじゃないかと正直に思えるようになったら、なんといいのだろうと思うけれど、ぼくも心のどこかでいやズボンのチャックを開けたままで歩くのはどうなんだろうかと思う微妙な感覚を持ち合わせているから、どうしようもない。革命家じゃない。最後まで小市民なのだ、そういうことは本当はどうでもいい、最後の結論は死んでも分からないかもしれないけれど、29歳の最後の夏というのは、そんな小さな問題をくよくよ考える為に用意されていたのではない、きっとぼくらが生まれる前からぼくがこんな事で悩み苦しむことは簡単に想定できたに違いない。違う。そういうことじゃない、もっと残酷な恋愛だとか結婚だとか至極当たり前のことでもっと悩むべきなのかもしれない。30歳を目の前にして、ときどきやっぱりもしかするとぼくは一生独身かもしれないなという、どうでもいい悲しみを思い浮かべることがあるくせに、友人と話していて同じようなことを友人が言うと「そんなことはない、大丈夫だよ」なんていう身勝手な助言なんかをしたりする、そういう自分が酷くゴミみたいだ。いや、そういうことはある程度片付いているはずだ、大丈夫。そう思い聞かせてきたはずだ、今現在でも大丈夫だ、きっと大丈夫だというある種の神話を自分で形成してきた。ただ、そのタカをくくった思い込みがどれだけ強靭なモノだろうとも、ある瞬間に脆くも崩れ去る時がある。他人というのは、神様だ。自分以外の人はみんな神様なんだ。そいうことを結論にはしたくないと思い込む人格を自分のなかに隠しもっているかもしれないが、まだまだぼくも29歳。言葉の槍が飛んできた時に、どうしても返せない時に、そう思ってしまうことがあるし、他人が何を思うか、何と言われるか、何と思われるか、何と受け止められるのか、そんなことが人生に軸になっているようにも思えてならない。きっとそれが本当に分かるまでは、結婚なんてしてはいけないのかもしれない。否、そうでもなくては、結婚しても失敗してしまう。否、結婚しているひとを馬鹿にしているんじゃない。結婚というものが、どこか厳かに決定されるものだとどうにか信じ込みたいだけなのかもしれないけれど、そうでもしなくじゃ精神をどうやって正常に保っていられようか。

2 Responses to “神様の結婚”

  1. もふ Says:

    フランス婚で、良いんじゃないかい?

  2. 丹羽 Says:

    ダメです

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