エッセイ|歴史を持つ者だけが未来に行ける

7 月 14th, 2012

歴史を考えることは、一度歴史の断絶を検討する必要がある。

ぼくは、その朝速報値「−25℃」のモスクワで、美術館での展覧会の準備をしていた。窓からは、凍り付いたモスクワ川があった、Yahooニュースによればその日の気温が平均で−25℃とあった。確かに寒い。ぼくはダウンジャケットに厚いブーツでモスクワ川の側まで歩いて出かけた。呼吸をするのさえ、非常に困難を伴うので、それなりの作法があるように思われた。なるべく肺に凍った空気を入れずに口だけで呼吸をする。それはモスクワで一ヶ月暮らすための、サバイバル術だった。この日、ぼくはこの速報値をTwitterに書き込み、日本に暮らす友人たちに伝達した。だが、極寒の地で暮らす人を除けば、ほぼ想像できないことであろう。そこには「現実で経験したことがないことは想像できない」という大きな断絶がある。ただし、それが「寒さの範疇」である限りは、情報が伝えることが可能で、受けるとも可能だ。ぼくらの時代は多くの場合、現実よりも情報の先にやってくる。それは、歴史の定理を破壊する。ぼくらは、見たり経験した過去の物事を、どのように記述し、記録し、残していくかという使命において、その逆行をいく形で生きている。いつまで経っても、その−25℃は誰の歴史に刻まれることはないのだ。

ぼくはこれが、無根拠に起こっているのではないと思う。ぼくらの幸福論は、情報に一時的に肉を与え、生命を宿したかのように見せかけて、経済論理に中に埋没させられる。このような社会の中では、先に情報がやってきて当然のことなのである。

ただし、ぼくらは根源的には歴史が未来への架け橋を作ることを知っている。多くの人が恋愛に未来を見いだすのと同様、家族や子供を産むことは未来を作り出す。それと同時に、家族は歴史になる。そうでない限り、個人史において、歴史など作る出すことは不可能なのだ。それは、きっと多くの人が了解することだろうし、ひとりでは何の歴史も作り出すことが出来ない虚無感を感じ取ることで裏付けされるだろう。

ある友人が失恋で「すべての終わり」を感じたと言う。ぼくはそのまま、それが「歴史の終焉」だと思った。ただし、それは終焉であろうとも、敗北ではなかった。歴史を作る出そうとするヒトのエネルギ−は常に未来に向かうが、その道が閉ざされた時の「未来」とは何か?その手がかりは、ぼくらが日々、手にしている「情報」と「過去」の中にある。

情報がいつまで経っても、どれだけ肉付けしたとしても、どれだけ魅力的に見えたとしても歴史を形成することは不可能だ。歴史とは、「過去をいかに語るか」という生産的作業であって、実際のところという言葉はほぼ役にたたない。寺山修司は、映画「田園に死す」で自分の過去を都合よく書き換えようとする際にも、母を殺せない自分とは誰か?と説いた。いかに都合よく語り出そうとしようとも、無視出来ない自分と他人の関係を見つけ出した時に初めて、歴史を語ることができる。

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